歩けるには修行を重ねる

公開日: : 日々のこと

要介護から要支援になり日々のデイケアが減らされ、筋トレで頑張っていたのに筋トレの時間が減り、この頃自分の足の筋肉が弱ってきた感じがあります。支援は、介護を受ける人が自立すると支援になるのだそうですが、私は、まだまだ自立には程遠い感じです。おふろも一人では入れないし出れない。殆ど娘のサポートがないと無理。トイレも時には布パンツを使ったりしますが、よく尿漏れをするので、パンツとズボンを夫に頼んでトイレまで持ってきてもらいます。どんな時失禁するかというと、私は結構カウチでお昼寝したりします。その時、尿意をもようし起き上がるのに時間がかかり、そこでついに尿漏れをしたりするのです。

まだまだ半身が不自由なので、なんでもすぐに動作が動きません。回復病院に入院していた時は、家に帰る時は、絶対杖で帰ると、固い決意でした。その時、正直者のセラピストが「正直杖で帰れないかも」と私に言ってくれたのです。
私はその貴重な助言?をきかず、その言葉を言ったセラピストに烈火のように憤りを露わにして「杖でいけるかどうかは本人が決める事。ただ本人が出来るようにサポートする事が大切ではないか」と、大声を出した覚えがあります。

そうです私は病院を退院して10ヶ月になろうとしております。
今度は杖無しでどう歩くかが問題です。
脳卒中患者は、半身不随になりまるで赤ちゃんになったかのようです。
私がお産介助した赤ちゃんが数ヶ月前私の家に来ました。前にも書いたかもしれませんがよちよちと歩けるようになり、まるで私
がよちよち歩いているかのようです。
赤ちゃんは、自分が歩くのに何も愚痴をいう訳ではありません。すごいですね。

私は梅雨の合間のお天気の日、まず右手でてすりをもち左の足を階段に乗せ次に右の足を載せます。一段一段ゆっくりのぼります。
今日はちょっと違うチャレンジをしました。
夫に「今度は左手でてすりを持って歩くようにしたら?」と言われ、私は左手がなかなかいうことを聞かないので新しいチャレンジをし始めました。

太郎坊宮に何回登ったでしょうか?階段は350段ぐらいです。いつまで上り続ける事ができるのでしょうか?階段を登りながら、矢張り無になるまで訓練が大切なのだと頭に浮かびました。歩けない足を歩けるまでは簡単でない、何百回、何千回歩き、無意識になるまで、つまり、無になるまで訓練、修行する事なのかも知れません。
この頃生きることは日々の修行なのかもと思ったりしています。
こんなことを考える事ができるようになったのは、この病気になってからです。
そうすると、今が幸せだと思うになったのです。

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