人生いろいろ

公開日: : 日々のこと

昨日私の看護学校の時の同級生私を含めて4人が、近江八幡国民休暇村で一泊。ありがたい時間を過ごしました。
看護学生時代ははやいもので58年前になりますか?その間1〜2回お会いした方もおりますが、今回は意を決断して、今しかお相手できないかもと、切迫感がありました。そうです。私たちはあと1歳で80歳です。もうこんなに歳をとったのです。
いつ「どちら様」と言われると言う事になったら大変です。今しか一人で電車に乗って国内だったら出掛けられると、お集まりをしたのです。看護学校3年間寮生活です。一部屋6人畳の部屋で暖房は煉炭火鉢のみ今では考えられません。朝は5時30分起床当番が練炭を起こします。朝早いので星が出ていたりします。修道院経営なのでまるで看護学校が修道院みたいだと感じたのは私だけだったでしようか?でも寝食を共にした3年間まるで姉妹のようです。私は家で毎日家事で食事の準備お風呂を薪で沸かしていた事と比べたら朝の練炭起こしなど決して辛く思ったことはなかったです。ところが今回4人の友達の中の一人がとっても煉炭起こしの当番が辛かったと言っていた人がいたのには発見でした。つまり彼女はそんなに家で家事をやっていなかったようでした。
看護学生の時産科の老医師が学生に向かって「皆、できるだけ早く、つまり25歳くらいまで結婚し、子供をたくさん産むことが良い」と、言っていたのが印象的で「自分ははやく結婚しようと思った」と言うのです。そうして私以外の友人3人は、皆子供が3人居ます。私は、看護学校時代のその老産科医の言葉全然頭に無かったです。何を学んでいたのでしょうか?結局、私は晩婚で35歳で結婚40歳で出産一人しか子供がおりません。これが少子化の原因ですね。ちゃんと、しっかりと学んでいれば早く結婚をと素直に考えられたのかもしれません。
やはり私は男兄弟の中で育ったので、その老産科医の言葉は全然入らなかったのかもしれません。やはり私のその時の頭は、ある意味男の頭だったのかもしれません。
ちょっと、現在の少子化どうしてなったのでしょうか?ちゃんと、こころある
人が人間の生物的な点から出産、子育てについて行っていたのに、なぜそのことに耳を傾けなかったのでしょうか?
社会はただ女性が社会で自立することを推奨し、成績が男子より上であることが良いと考え、まるで真剣に女性としての役割を考え無かったからこの少子化が進んだのかもと、実感したのです。
私はあと一年で80歳になろうとしている今、日本の少子化を真剣に考えざるを得ません。勿論若者が結婚をしたくないと言うこともこれまた人間の種族保存に危機感を感じるのです。もう少し人間が動物になることが大切ではないかと思います。

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