ニュースレター4月号の記事
公開日: : 日々のこと
「お産&子育てを支える会」が発行している「ニュースレター お産&子育てサポート」4月号に、朝比奈の記事が掲載されました。
「命を産む」~朝比奈順子助産師が自然のお産を語る~第2部(先月号の続き)
私の母の思い出から思うこと
母は明治 40 年生まれ、戦前、戦中、戦後と8人子供を産みました。全て産婆が家でお産をしていようです。彼女は 8 人の子供を全て母乳で育てました。ですから彼女の乳房はまるで芸術的です。彼女のおっぱいは子供達の命になったのです。はっきり言って乳房の形はありません。ただ干からびた乳房の上に大豆の様な乳頭がちょこんとあるだけです。私は彼女の胸が母の子育てを語っていると思いました。母を通して日本の産婆の素晴らしさを感じたのです。
私が助産婦の時にいつも退院していく母親に申し訳なく思っていました。赤ちゃんを産んだら「産みっぱなしだ」と病院のお産を実感していたのです。お母さんは家に帰ってどの様に子育てをしているか、核家族の中で。しかし、その頃はどう解決しら良いかま では考えられませんでした。
つまりお産を男性である医師が行っており、女性が一番困ることを理解してなかったからでしょう。しかし、私は 40 歳で 知ることができたのです。自然のお産は別に会陰部を切開しなくても裂傷ができないのです。40 歳の私も赤ちゃんを産む会陰部を切開しないで綺麗に赤ちゃんを産むことができました。もう一つ付け加えるとしたら,是非女性として,自然なお産を体験してほしいのです。
つまり自然のお産は女性としてのたくさんの素晴らしい悟りを感ずることができます。お産を男性の手から女性の手に戻したいのです。
私はいままでカナダ,ニュージーランド、ドイツ、アイルランド,アメリカと実際に足を運んでお産をみてきて思いました。日本の女性はすばらしいのです。特に麻酔などしなくても、自然お産を体験できるのですから。
女性が麻酔分娩をすることがまるで進歩しているとは思いません。昔から日本の女性がいかに自然のお産を好んで来たのは、もちろん先輩産婆の力があったことだと思います。今、日本女性がしっかりと、自分はどんなお産をしたら良いか真剣に考えてほしいのです。それは自分の人生をどのように生きると同じなのです。
「産むのも逝くのも同じ」
私は自分が自然のお産をした時、「怖くなく」「不安なく」「痛くなかった」のです。そして、お産の時にこんなに平安な気持ちだったら、「自分が逝く時も同じ気持ちになれるかもしれない」と直感したのです。また私は予定日にカリガネ荘(吉村医院の日本家屋)に入所して、お産のその日まで毎日朝 10 時から午後3時まで薪割りをして、お産は予定日 20 日遅くなりましたが、ちゃんと自然陣痛が来てお産になりました。吉村医師は決して陣痛を促進したり、みだりに内診して人工的に陣痛を促進することはしません。彼は産婆以上の産婆です。自然のお産をするのに持つことを知っているのです。自然のお産をする時は人が謙虚になり自然と対峙して、命の生まれるのを自然から学ぶのです。私は彼からたくさんの事を学びました。決して自分勝手に薬とか、注射をしてお産の陣痛を促しませんでした。彼は私が予定日より20 日遅くなってもただ待ってくれました。そのさまは、私にお産の本質を見せてくれたのです。私は今まで沢山の医師に会ってきました。しかし彼らは本当のお産を知ろうとせず、どうしても陣痛を促進するために促進剤を使ったり、また内診して子宮の口を指でゴリゴリと刺激して陣痛を起こさせようとします。吉村医師の姿勢は驚きでした。待つ自然のお産は先輩の産婆しかできないのではと思っていたのですが、彼は産婆の中の産婆でした。そして、赤ちゃんが生まれるちょっと前に彼が耳で木製のラッパの様なもの(トラウベ)で赤ちゃんの心音を聴いた時に悪かったのでしょう、看護婦さんに吸引器や鉗子分娩に使う鉗子の器械を持ってくる様指示し、急速遂娩をしようとしているのがわかりました。私は一言「大丈夫です」と言いました。彼は私の反応を見て看護婦さんへの指示をやめて、今度は私に「息んで,息んで」と大声を上げました。私は真剣勝負です。私は足元の大きな鏡で赤ちゃんの頭が出てくるのを見ながら、一心不乱に赤ちゃんが早く生まれる様に息みました。夫は陣痛が終わると耳元で「深呼吸」と囁くのです。私は真剣勝負です。赤ちゃんの頭が見えてきました。
私は 40 歳の初産なのに赤ちゃんの頭が結構早く降りてくるのに不思議に思えました。後で考えたのですが、赤ちゃんも苦しくて、早く産まれたかったのかもしれません。赤ちゃんの頭が少しずつ見えてくる事に感動しながら必死になって息みました。そして赤ちゃんは無事産まれました。赤ちゃんの羊水は真っ黒に混濁していました。首に臍帯が三重に巻いていたのです。苦しかったのですね。「無事に赤ちゃんが泣きました。私も大声で泣きました。」すべての方々が感謝でいっぱいでした。
吉村医師が急速遂娩器具を指示している時に私はどうして「大丈夫」と言ったのでしょうか?私は自分の赤ちゃんは大丈夫と感じていたのです。つまり、自然に産むために努力をしてきた時に、赤ちゃんは必ず自然生まれるという確信が私の心に芽生えていたのです。赤ちゃんは大丈夫という覚悟が生まれていたのかも知れません。それよりも何よりも吉村医師が私に下駄を預けてくれた、その勇気を心から感謝しました。このようなことは普通ではできないでしょう。こんな感動は決して無痛分娩では味わうことができないでしょう。彼は命をかけたのです。そして、私に真理を教えてくれました。本当に素晴らしいし一生残る感謝です。
私はスマホで無痛分娩の動画を見ました。お産は淡々と進み、産婦さんは乱れることなくスッキリした感じでお産をするというような映像でした。女性の皆さん本当にお産はそんなに簡単なものではないのですよ。そんな映像にごまかされないで、自分の力でしっかりと産んでください。命かける気持ちで産んで下さい。必ずあなたも何かができるでしょうし、「人生が変わるでしょう。」
私はその後 50 歳で開業の産婆(助産師)になりました。そうしで多くの女性のお産サポーターをしてきましたし、今も目指しています。
▼「ニュースレター お産&子育てサポート」4月号
https://www.osanko.com/archives/2265
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