娘からの賀状
公開日: : 日々のこと
娘からの賀状。それは初孫の一歳のお祝いを韓国ソウルの夫の弟家族と一緒に祝った時の写真です。
彼女が結婚式の時はコロナ禍だったので、盛大に結婚式もせず、ただ親戚の人たちとホテルで食事会をしただけでした。
その時私は韓国服を着てくれることを願っていましたが、彼女は韓国服を着たいとは言いませんでした。私は黙って彼女の気持ちを大切にしていました。
そうして、2025年6月に唐突にに初孫の一歳のお誕生のお祝いをソウルでやりたいと言ったので、私達老夫婦は彼女のやりたいようにやったら良いと考えていました。そうして後になって、彼女と彼女の夫と赤ちゃんが三人が韓国服を着て綺麗に写真に収まっていました。私は母として大変嬉しかったです。
韓国が朝鮮植民地の時代、父親は韓国の田舎から、日本の東京に出稼ぎに来たのです。その後母は父の後を追って三人の子供を連れて海を渡って日本の東京に来て両親は日本で色々な事業をしながら、五人の子供に恵まれ、一人を大洪水で失い残り七人を育てて五人に大学教育を授け、父は57歳で二回目の脳卒中で自宅で急逝しました。母は、父が逝ってから13年後心臓喘息で病院で急逝しました。
母は韓国から、日本に来ても、いつも自分は韓国から来たものであるとプライドを持っていました。彼女は韓国から日本に来ても、彼女の韓国風の髪型を日本の女性の様にパーマをかけず長い髪を毎日整えていました。また高齢になると、白髪が出できます。そんな時には丁寧に長い髪を染めていた姿をおもいだします。韓国から日本に来た韓国女性はすぐに長い髪を切り、日本の女性の様にパーマをかけていた女性が多かったです。しかし、私の母は、韓国から日本に来ても決して長い髪を切らずに、前を分けて後ろにまげを結っていました。つまり彼女の髪型を見たら、すぐに彼女は韓国から来た人であると分かるのです。
母は自分は韓国から来た人であると、堂々としていたのです。
私は子供ながら母の姿勢はすばらしいと思っていました。彼女は長い髪を丁寧に時間をかけて洗い年齢がいくと、白髪を綺麗に黒く染め髪を常に美しく整えていました。私は小学校の時代から母の長い黒髪を見ながら彼女の並々ならない韓国人としてのプライドぬをひしひしと感じていたのです。
今回娘からの賀状をいただき、彼女の韓国服の写真を見て、ふっと母の面影を彼女の写真から見ることができ、私は大変幸せな気持ちになりました。母が髪の毛を前で分け、そうして後ろにまげを結っている髪型はまるで、母の昔を思い出したのです。また娘が韓国服を着た写真は、母が韓国から来たプライドを持っていた、その姿が見れます。、もしかして、母の考え方が、孫に伝わったかも知れません。 つまり女は子供を産み、その家の哲学を子供に伝える役割があるのではないかと母から学びました。
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