不登校の彼女、今はパイロット

公開日: : 日々のこと

8月31日のメールで夫のいとこのRちゃんから「今日これから関空に向かうのですが、9月1日滋賀のお兄ちゃん家に行っても良いですか?」と嬉しいメールを頂きました。彼女は今トロント在住でカナダの航空会社のパイロットをしています。
夫に彼女のメールを知らせると、心から嬉しそうな顔をして、私も、その嬉しさが伝わって来ました。

彼女は夫のいとこですが30歳も歳が離れております。彼女は我が家にとっては二人目の娘の様な気がするのです。一人目は今40歳で結婚し6月に出産し東京で子育て真っ最中です。
不登校Rちゃんのことを少しお話ししましょう。彼女は実は中学1年の二学期から不登校になリました。彼女は女の子の遊びより機械いじりが好きで学校の友達と馴染めず、シカトされクラスの中で無視されたそうです。そうして、自分は学校に行けなくなったのです。

我が家で彼女が不登校していることが分かったのは彼女が中学2年生ごろだったと思います。

私は「彼女が自宅から離れ、少し環境を変えるのために、我が家にホームステイさせたら?」と夫に話しました。そして、彼女が中学2年生頃に我が家にホームステイすることになりました。

娘のワガママ
当時我が家の娘は2歳です。大きなお姉ちゃんが来たのでとっても喜び、お姉ちゃんの持っている鉛筆箱などをいじったりして、遊んでいたのをRちゃんは丁度反抗期でもあり、精神的に不安定で余裕がなかった時期で、小さい子が邪魔に感じたのでしょう。娘がお姉ちゃんのものに触るのを「だめ」と言われ、娘は拒否されたことが初めての経験だったのです。そこで大泣きして、親に訴えたりしたのです。つまり娘は何でも自分のやりたい放題の生活だったのが初めて拒否されびっくりしたのです。それも娘には学びになったかもしれません。

娘をおんぶしてドライブ
私はあまり家の中にいると、娘がまたRちゃんの珍しいものをいじったりするので、少し外に連れて行って車であちこちドライブしたことを思い出します。
私と娘とRちゃんの3人は滋賀県の名所旧跡を回った記憶があります。

私はパイロットになりたい
私はRちゃんに「あなたは何になりたいの?」と聞きました。彼女は即座に「パイロット」とこたえました。私は彼女だったらパイロットになれるだろうと思ったので、私はすぐに「そうしたら、パイロットになりなさいよ」と背中を押したのです。その後、彼女が我が家にステイしたのは1ヶ月くらいだったかしら?彼女は彼女の自宅にに帰って行きました。
大検を受け理科系の大学に入学
自宅に帰り、彼女はフリースクールなどで学んで、その後大検を受け、理科系の大学に入学しました。就職は外資系のソフトウェアの会社に入って一生懸命働いていました。

初めてカナダへ
彼女は30歳になった頃、我が家の娘がカナダの高校に留学して、ちょうど卒業式がありました。夫がRちゃんを娘の高校の卒業式に参加するのを誘いました。Rちゃんは初めてのカナダの異文化に触れ、またカナダの学校に魅了され、自分もカナダへ留学をしようと思いが募ったのだと思います。カナダの語学学校に入り、その後パイロット学校に入学して、夢のパイロットに近づいていきました。
初めは小型の飛行機
初めは小さな飛行機を運転してその後数年して、旅客機を運転できる様になりました。
彼女は小さい頃からの夢を諦めず、その夢を実現したのです。
どうしても両親は不登校というとネガティブに捉え、希望を持たなくなることはないでしょうか?
私はかえって彼女が不登校になったからこそ、自分が何をやりたいか分かったのではないかと思います。
人間の可能性は非常に大だと思います。周りの人も出来る限りサポートすることが大切でしょう。
これからの彼女の幸せを祈ると共に、安全飛行を祈ります。

お産子の家で「産婆S」

2024年10月5日土曜日/午後1時30分〜3時/共同助産所 お産子

気丈な高齢の方

私は週に4日間デイケアに行っており、3日間は午前中のデイケアです。ま

不登校の彼女、今はパイロット

8月31日のメールで夫のいとこのRちゃんから「今日これから関空に向か

女性がお産をする時

「ごめんください、私はここの助産院で17年前に妻が息子を出産したAと

油断大敵です

私は脳卒中を発症し4年半になります。私はトイレに行こうと、ベットから

  • 現在、朝比奈は左半身が不自由なので直接お産には関われません。夫が緑町診療所の1床で自然分娩をやっています。ここでは若い助産婦がお産をやっています。妊婦健診時には、朝比奈も若い助産婦と一緒に お話をさせてもらっています。実は半身不随になり、一度はお仕事を断念しようと思いました。おかげさまで生かされたので「まだ私のやらなくてはならないことがあるのでは」と思いなおしました。今のところ言葉には何の支障もありません。お仕事を少しでも違う形で続けられれば嬉しいと思っております。

PAGE TOP ↑