ホテルでクラス会

公開日: : 日々のこと

3月1日東京ステーションホテルで親戚の人達と娘の結婚報告の食事会です。大変春らしいお天気で何よりでした。私は2月28日に一足早く東京入りでした。夫は知人のご主人が体調を崩したので前の日の夜 往診して、夜中の11時頃帰宅した様です。私は明日、朝早いのでもう9時ごろから寝ていたので彼の帰ったのは分からなかったです。
そうして朝4時30分くらいにトイレに起きたのでそのまま起きて着替えをし小さなおにぎりを作って夫が起きてくるのを待ったのです。
東京へ行くにはJRの人に前もって車椅子のサポートや多目的個室の予約が必要だったので私は朝の8時33分こだまに予約を入れていたのでその新幹線に乗りたいと思って、前の日から「朝が早いから朝食を取らないで家を出なくては間に合わないかも」と彼と話していたのです。そうして、私は身支度が遅くなるかもしれないので夫より早く起きたのです。夫は7時なっても起きなかったので「もう7時です」と夫を起こしたのです。本来ですと7時には家を出ないとその「こだま」に間に合いません。JRの人は新幹線の出発時刻より30前位に駅に来て欲しいと言っていたのです。8時33分出発なので8時には駅に到着しなければと話していたのが、やっぱり前の晩に患者訪問があったりするので彼の睡眠があんまり取れなかったです。そうして7時に起きてきましたが、彼はおもむろに味噌汁を温めて朝食を摂り始めるのです。
私は彼に「急がないと」と言えなかったです。彼は昨晩遅く家に帰宅しお腹が減ったのでしよう。ご飯を食べたかったのだと思いました。
 家を車で出発したのは7時30分です.本来ですと8時に到着していなければならないはずです。私は色々話したかったですが、時間に間に合わないと自分なりにイライラしていました。新幹線の駅まで高速を15分くらい走り、下の道で30分以上かかるのです。彼が運転するので、横でごちゃごちゃ言えば、彼の気持ちを混乱させます。ですが、私は車の中で私は時計と睨めっこ、結局駅に到着した時、もう予約をしていた「こだま」が発車するベルの音が聞こえました。間に合わなかったです。車椅子とか予約していたのでその方にやっと「こだま」に乗れなかった旨を電話連絡が取れました。そうして、夫が車を駐車場に置いて私の近くに来た時、私の憤懣は爆発しました。私はもう新幹線に遅れたので全て終わりだと思い「もう行きたくない」と諦めの言葉を彼に投げつけました。
夫は沈黙です。私と夫はエレベータに乗り改札口まで長い道のりを私は杖でゆっくりゆっくり歩くのです。でもその時足が痛いと感じないで歩いているのが不思議でした。夫は私より早く改札口に次の新幹線が5分後に出発する「ひかり」の切符を買おうとしていたのですが、私が車椅子のサポートをお願いしたら、駅員は「1時間後に出発する ひかり に予約すると車椅子のサポートもゆっくりできる」と言うので9時57分発の新幹線に予約することになりました。それが東京着が12時12分です。私は13時に東京ステーションホテルでで友人たちと食事の時間に間に合うので本当に良かったと胸を撫で下ろしました。そうして1時間以上待合室で9時57分の新幹線に乗るのを待ちました。
私はあんなに大きな声で「もう行きたくない」なんていう言葉を言って、申し訳なく思いました。
そうです全て諦める必要はないのです。もっと良い事が待っているのだと、これもまたお勉強です。そうして待合室で1時間待っている間、ホテルに電話して新幹線の東京駅到着の時間が変わった事を告げました。

待合室から、新幹線の11号車の多目的個室まで車椅子を押してくれました。本当に手取り足取り、ありがたやしかありません。多目的個室でゆっくりもソファーを伸ばして足を伸ばしながら横になりながらゆっくり寝ながらの新幹線です。
 いよいよ東京駅です。私達は本当にリラックスして東京駅まで来ることができました。窓の外を見るとホテルの方が私の名前をボードに書いて待っているのです。すごいです。まるで空港でお客さんの出迎えと同じ感じです。大変びっくりしました。私はJRの方の車椅子で改札口まで乗せていただきましたが、改札口からは今度はホテルの方が車椅子を押してくれました。この連携プレイは本当に感動的です。その後私は地下1階にある和食レストランに車椅子で運んでいただきました。丁度私のクラスメートも和食ストランに集合です。本当にジャストオンタイムでした。本当に有り難やです。私の看護短期大学の友人6人と一緒に美味しい和食をいただきました。6人とも今年80歳になるのです。お元気そうです。また幸せそうです。本当にクラスメートに会えてこれまた嬉しかったです。私達は昭和40年当時珍しい看護短期大学を卒業しました。3年間寮生活で同じ釜の飯を食べ楽しい学生生活を送りました。その大学も今では上智大学に吸収され私達は上智大学の同窓生になったのですからなんだか不思議です。
6人の同級生が皆東京在住です。残念ながらご主人を亡くした方は2人で、他の方はご主人もお元気の様ですが それぞれ高齢で持病を持っていらっしゃる様です。お習字を頑張っていたりマンドリン演奏を頑張っていたりまた、コーラスの趣味を続けていたり皆高齢になってもやる趣味があるのです。はっきり言って彼女らの顔には呆けた認知症の顔は見当たりません。私も大変すごい刺激を受けました。また長い間夫の介護をして見送り、彼女は今は週1回の麻雀をやりながら脳トレをしています。皆高齢になっても自分の趣味をやり続けている姿勢は素晴らしいです。本当に2時間ほどの時間でしたが私にとっての素晴らしい時でした。ありがとう、今日みんなに会えて嬉しかったです。お互いまだまだ頑張りましょう。
感謝感謝です。

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