4冊目の本を出版
公開日: : 日々のこと
5月31日、私の4冊目の本が出版されました。すみません今回は電子書籍だけですのでよろしく。私の友人は80歳代なので、ちょっと申し訳ないのですが、今が一番若いのです。だからこそ、これからの時代に即してチャレンジして頂きたく思います。私も友人に教えて頂きました。
題名「オモニへの讃歌」
出版社「幻冬舎」
電子書籍、のみです。Amazonで本を購入して、Kindleで読んでいます。
私は本屋に行かなくて簡単で良かったです。
母のことを書きたかったのですが、また、自分史にもなってしまいました。つまり終活みたいなものですね。
やっぱり、母のことを書くことで、韓国、朝鮮の歴史を紐解くことができました。ありがたいです。そうして、やっぱり母は無償の愛で子供を育ててくれたことに気づきました。
私は産婆として沢山のことを母から学んだと思います。一番大きいのはやっぱり愛でしょう。母は8人も子供を産みましたが、結局7人を育て5人を大学まで教育させました。
現代のように社会も経済的に恵まれておらず、極貧の中 子供を育て、教育を授けたのはすごい精神力でしょう。外国から日本移住し、毎日のご飯をどのように食べるかそれさえ大変なのに、いろいろな職を点々として生きてきたのです。
その原点はどこかしらと考えました。私は母が子供を全て、命懸けで自宅で産んでいるところが違うのだろうと思ったのです。つまり母親は自分の命をかけて自宅で子供を産み落としたのです。一人一人覚悟と信念を持って命を生んだのです。そこに女の強さ逞しさが生まれたのでしょう。
自分で自分のお腹を痛めてこそ自分の子が愛しいものと感じるでしょう。
戦前、戦中、貧しい中 子供を産んで貧しい中育てて来たのは並大抵ではなかったはずです。
私は二度目の脳卒中の時、決して落胆することなく前向きに、そうして、楽しくリハビリをやれたのは、いつも「母はもっともつと大変だっただろうと母を思いながら行動してきたのを思い出します。
そうして、母が病床に臥している時に私は不思議な感覚になりました。それは「私は母のお腹の中に入りたい」つまりもしか何かあった時には自分はもう一度母のお腹の中に入りたいと思ったのです。
母と子の絆はこんなにもつながれているのですね。それはどうして構築されてきたのでしよう?
私は母のことを追求してきて、いかに自然なお産が女性に大切であるかを実感したのです。
私は昭和41年に病院助産師の養成所を卒業しました。そうして、病院の都合の良い労働力として、ベルトコンベヤで人間製造工場で出産をしてきました。
そこには人間を思いやる優しさ心は失われ、女性としては一番不幸な出産形態でした。出産は自然で生理的であることを築かず、女たちは医療優先に考え、病院でのお産をよしとしてきました。誰も病院でのお産に警鐘を鳴らさないで戦後から今でこの社会が形作られてきました。
私は今80歳になり本当のことが見えてきた気がします。女たちが自分に与えられてきた素晴らしい自然への感覚直観は後子にはわからないこと、それを大切にすることが、これからの世界を人間らしい世の中にしてくるのではないかと思います。私はあまりにも医療の中で非人間的出産を見てきて今こそ女性の本当のサポートをする産婆の養成が大切であることに気がつきました。
これは私がこの本を書いて直感したことです。
そうして多くの女が自分で与えられた自然なお産する事が女性の学びであり母としての目覚めであることに気がつきました。
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