沢山の幸せを感謝

公開日: : 日々のこと

こんにちは、長くブログをご無沙汰致しました。
私は最近大変素晴らしいことがありました。
5月18日に私は81歳になりました。まさか私が80歳以上になるとは考えもしませんでした。そうして、77歳で脳卒中を発症して4年です。その間に沢山の幸せをいただきました。
まずは私の一人娘が39歳で結婚しました。その一年後40歳で妊娠し、そうして、2024年6月12日赤ちゃんをなんと授かりました。私は81歳で初孫を抱くことができました。こんなに短い間にたくさんの幸せを心より感謝しました。

脳卒中になっても、娘の婚活を諦めませんでした。
私は4年前に脳卒中という大病を発症しても、決して生きる希望を失わず今自分はリハビリと、自分ができることをすることに集中して頑張りました。そうです。私は脳卒中になり、何かを書くことが好きになったのです。そうして、本を3冊書きました。
その他に私は生きている間に40歳近い娘に結婚をしてもらう事が大切だと思い、いろいろ彼女にお見合いのお話を探したりしていました。夫は私の行動を見て、時期が遅すぎると言って、私を横目で見ていました。しかし私は諦めません。母親の使命です。彼女は私に「私は絶対結婚しない」と断言しました。しかし、「死ぬ迄祈る」と私も断言しました。そして彼女が40歳に近づいた頃、1人の見合い相手のお話をしました。私も親としてやることはやったと思い、彼女にこれで最後のお見合いと思いお話を出したのです。するとどうでしょう。彼女は「お母さん、ごめんね、私好きな人がいるの」と言うのです。
わたくしはびっくりして「そうだったら、すぐうちに連れて来て」と大声で言いました。
私と娘が近くの日帰り温泉の帰り、車の中でのお話でした。私は家に帰り、夫にそのことを話しました。夫はあまり喜怒哀楽を表さない人です。しかしどことなく嬉しそうでした。善は急げ、早々と彼女の好きな人を家に連れて来てもらいました。大学時代の友人です。なんと、20年前からの知り合いです。そういえば彼女が若い頃にアメリカに留学に行った頃「私結婚したい人がいるの?」と言ったことがありました。その当時はまだ彼女は若く、まだアメリカに行って間もない頃なので簡単に「いや早くない?」と、一言で終りました。それから、彼女は20年後に、結婚になったのです。すごいといえばすごいです。結婚の相手を本人が選ぶのです。親は反対しません。

コロナ禍の中、結婚式は挙げません。彼女らは籍を入れた様です。
東京駅のホテルで親戚の人たちと結婚の食事会を行いました。全部で11名の方が集まってくれました。
私は車椅子で新幹線に乗って東京駅まで初めて行きました。本当に楽しかったです。

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