滋賀母衛生学会に参加して
公開日: : 日々のこと
2月22日滋賀母性衛生学会に参加しました。この所、雪が毎日のように降っています。家の庭から道路に出るまでが坂になっており、雪だと降りるのも危険なのです。しかし午前は奇跡的に太陽が出て晴れたのです。それであの坂もどうにか下まで下りることができました。
少し雪が降ってきました。私は道路でお迎えを待っていたのですが5分足らずでKさんの車が丁度11時30分頃到着しました。
そうして、雪道を会場まで30分くらいです。私はワクワクです。私は今日の日を待っていたのです。
学会に参加したのもう私が脳卒中になる前、脳卒中に発症して5年になりますからその前としたら、6年くらい前になるでしょう。その時も私が、75歳頃私が6年前くらいかもしれません。その時は私は子宮筋腫の大手術の後になると思います。その時医師に「お大事に」と言われたことを覚えています。
今回は助産師の後輩のKさんに学会の日程を聞きその学会が2月22日にあることがわかり私はその学会に参加したい旨を彼女に言ったところで彼女も参加するとのこと、一緒に参加することになりました。彼女は私の学会の手続きをスマホでしてくれ、会費も振込でしてくれました。全て手取り足取りとお世話になりました。いよいよ近江八幡の会場につきました。もう結構たくさんの人々が集まっております。雪なのにあんまり若い人は、お天気の心配をする人はないようです。若い助産師さんや学生さんが会場にいっぱいです。私は本当に6年ぶりの学会です。若い助産師のエネルギーで私は嬉しくなりました。天気が悪くても、特に学会に参加するのは関係ないのかもしれません。私の場合は、外出する時はいつもお天気を気をつけています。つまり私の体は半身不随なのでいつどんな時でも、すぐにすってんころりんと転んでしまいます。本当は、杖で会場に行きたいのですが、長い時間ですし、やはり車椅子にしようかということになり、車椅子を使いました。病院に車椅子が準備してあるのでそれを使いました。学会は13時から開始です。
内容は色々カタカナの横文字が出てきて、ちょっとスマホで検索しないとわからないものが出てきており、私のように学会参加はまるで浦島太郎のような人には難解と言えました。
私が助産師の教員の時に学生たちがよく学会研究発表をしていましたが、その時いつも私が言っていたのは「自分達は助産師なのだから、医学的な研究でなくでなく、助産師な研究をしましょう」と言っていたのを思い出しました。
ソクラテスの母は産婆だったそうです。ソクラテスのは産婆である母親を観察して、産婆術という問答法を作ったのです助産師の仕事はソクラテスの時代の2500年の時代から変わっていないのです。
つまり母と子が健やかに安寧に幸せにこの世に誕生するかと言うことが大前提だと思います。
助産の原点は医療的で機械的でなく助産師の優しい温もりのある手でお産をするとが大切だと私は最近このことが非常に大切だと思うようになりました。それは
日本の戦前、戦中、戦直後、日本の産婆は日本の女達を支えて来たのです。
そうして戦後、GHQにより産婆学校が閉鎖され1948年保健師、助産師、看護師法が成立し、産婆は助産師になり、産婆時代の自立したお産ができず、医師の指示の元、まるで産科看護婦になって、現在に至っているのです。私は1966年助産師の免許を持ち病院助産師として働いて来ましたが、その時日本の先輩達がどんなお産をしてきたか、学ぶことなく時を過ごしてきました。しかし自分の孫を大阪の産婆のところで産んだというカナダで在住の70代の高齢の男性に産婆にお産をしてもらった娘の経験を聞くことができました。それは産婆のお産は娘をまるで宝物のようにさすりながらの素晴らしいお産だったとその体験談を初めて聞きました。私は同じ助産師で有りながら、先輩のお産を学ぶ経験がありませんでした。それが残念ながら助産師教員の時もその現実でした。ですから、助産師学生に本当の教育をしてこなかったと後で後悔をしたのです。日本は諸外国の国と比べたら自然出産先進国と言えるのです。それが戦後のGHQが今も日本のお産を最悪にしていることを分からずして、学んでいる学生、若い助産師に私はもっと本当のお産に目を向けて欲しいと警笛を鳴らしたくここに一言、言いたいです。是非1人でも良いですが、自然のお座、自宅出産か、助産所出産に立つ会い、学ぶことが大切だと思います。そうして多くの助産師が本当の助産師の出産ができることがこれからの日本のお産が変化し、新しい女性達の成長の場になると思います。
産婆のお産は病院のお産のように大量生産のベルトコンベアの医械と合理的ではなくの手作業のお産なのです。
「参考」
ソクラテス式問答法の基本原理の核心には、「マイエウティケー」(※産婆術)と呼ばれる考え方があります。この概念は、ソクラテスが自らを知識の保有者ではなく、相手に真理を「出産」させる助産師として位置づけたことから生まれました。産婆術は、単に情報を教え込むのではなく、相手がすでに持っている知識や信念を引き出し、整理するプロセスを指します。ソクラテスにとって、真の学びとは、自分の中にすでにある答えに気づくことであり、教師の役割はその気づきを促進することにあると考えています。
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