友人の博士号取得

公開日: : 日々のこと

今日は4月のお天気が大変良い日最後の日曜日です。
私は兼ねてからお約束したAさんと一緒にお食事の約束です。イタリア料理レストランに行きました。パエリアが食べたかったのです
私はここのレストランに前に行ったことがあります。その時は女子3人の女子会で私は車椅子で利用しました。2024年の11月上旬です。5ヶ月前になります。
今回は私の友人のAさんの博士号取得のお祝いの食事会です。今回は杖でレストランに行きました。
Aさんは助産師で長い間助産師の教育の場でお仕事をしていましたが、その後博士号取得のために研究を重ね、大変な努力をして、このほど助産師として、博士号を取得したのです。博士号を助産師が得るには並大抵の努力が入ります。それも50歳を過ぎて研究を続けてきたのですから、大変な努力です。私が彼女の努力をよく理解ができるのは実は私も長い研究生時代を送り論文博士を目指して研究を続けたことがありましたから、その大変さをよく理解できます。そうして私はその博士取得に至らず途中で挫折をした一人です。何でも続けて最後まで頑張ることはその方の人生に大きな勲章となると思います。
私が何故博士取得を断念したかと言いますと、当時世の中、男性助産婦問題が国会で法律が通過しようとした時です。私は当時滋賀県の自宅から週一回東京の研究室まで新幹線で通っていました。しかし「二頭を追うものは一頭も追えず」と言う考えが頭に浮かび、私は博士論文を諦め男性助産婦反対運動に賭けました。そうして上京は研究室から議員会館へ行くことが多くなりました。そんなわけで博士号を断念したのです。しかしそれは私の後悔はありません。そうして男性助産師反対運動のため、何回議員会館行ったでしょうか?厚生労働委員に何回陳情と請願を繰り返したでしょうか?
私達が初めて議員会館に伺った時はまだ議員さんのテーブルにはPCもありません。ですからインターネットもあまり活用していなかった時代です。約25年前当時我が家はインターネットがあり、ホームページもありそのホームページ上で男性助産反対の意見を頂いたのをコピーして国会の厚生労働委員の代議士さんに配布したりしました。そして男性助産婦問題は凍結になり現在に至っております。
 助産師として、博士号を取得することは大変素晴らしいことです。
今や少子化や、お産の保険化が囁かれている昨今、助産師問題はいろいろ多岐に及びます。これから沢山の助産師問題を解決しなくてはいけない問題が山積みだと思います。それらの問題をアカデミックの立場からひとつずつ紐解きながら、解決していただけると嬉しいです。大切なのは助産師とし常に女性の幸せなお産を追求する姿勢だと思います。どうぞ飾りだけの博士号でなく、実践に活かした博士号であることを老婆心ながら、お願いしたいです。私も是非一緒により良いお産を追求したいです。
共同助産所「お産子の家」の誇りです。本当に今回はおめでとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。
今後は健康にご留意し、助産師活動に頑張ってください。私も微力ながら、歳は少し先に行っている先輩としてあなたと共に産婆、実践の道を歩みたいです。

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  • 現在、朝比奈は左半身が不自由なので直接お産には関われません。夫が緑町診療所の1床で自然分娩をやっています。ここでは若い助産婦がお産をやっています。妊婦健診時には、朝比奈も若い助産婦と一緒に お話をさせてもらっています。実は半身不随になり、一度はお仕事を断念しようと思いました。おかげさまで生かされたので「まだ私のやらなくてはならないことがあるのでは」と思いなおしました。今のところ言葉には何の支障もありません。お仕事を少しでも違う形で続けられれば嬉しいと思っております。

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