感受性を大切にしたお産

公開日: : 日々のこと

 私は81歳産婆(開業助産師)です。「今日、突然ですが、お家に行っても良いですか?」とお電話をいただきました。
彼女は18年前、最後の3人目のお子さんを助産院で出産なさった方です。もう50歳代になったとか?
 今日はちょっとお天気が悪く、私の右膝がうずきます。私は5年前に二回目の脳卒中を発症し週に3日午前中のデイケアに行き、週一回は1日中のデイケアに通っています。お天気が悪い時、膝がうずくので、それで今日のデイケアをお休みしました。そんな時は読書三昧です。
私は今日は時間的に余裕があります。彼女の申し入れを快く承諾し、彼女が我が家にいらっしゃるのを心待ちにしていました。約10数年ぶりかしら?古い友達を待っているような気持ちでウキウキでした。

 彼女は何故、私の助産院でお産をしたのでしょうか?3人目のお産を今までの診療所で出産しようと予定日まであと1ヶ月です。それなのに彼女の体に変調がきました。どうしても食欲が出ないし、食事の時に、何か不安になり。身体がガタガタ震えがきたようです。
そうして私の所に相談に来たのです。
 私は彼女は診療所での出産を心の中で何か拒否していることが分ったのです。どうして拒否するようになったのか?お話を伺うと、彼女はお産直後、医師と助産師は分娩台に乗っている産婦を無視して自分たちで私語をしながら処置をしているのを見ながら、産婦である自分を無視された感じを受けたそうです。それでまた、同じようにされるのでは無いかと恐怖を感じたそうです。つまり診療所でのお産が流れ作業と、マンネリ化で産婦の人権を考えない医療者側の態度が許せなかったのでしょう。そこで予定日まで1ヶ月たらずしか日にちがありませんでしたが、助産院でのお産を勧めました。その代わり、お産まで毎日、実家の本堂の床を水拭きすることを勧めました。するとどうでしょう彼女の不安は一切消え、一生懸命本堂の床拭きをしていました。そうして時間ができたら、朝夕のお散歩をしてお産に備えました。彼女は元気になり、明るい笑顔を見せるようになりました。食欲も戻り、、彼女の笑顔が戻り、お産を助産院ですることに決断が決まり明るく大変元気になったのです。そうして1ヶ月後、助産院で超安産で感動的なお産をしました。
 彼女の感受性は素晴らしいです。その人間としての感受性を大切に医療の現場でしているか?それが問題です。しかしその彼女の子供達の二人は社会人になり自立しております、3人目のお子さんは大学に通っています。今彼女は今まで一生懸命教員として頑張ってきましたが、今、50歳代になり、またこれからの生き方を緩やかに働きたいと、責任の仕事から少し自分流の仕事を始めたようです。お産して18年子供達の成長を報告に、我が家を訪れてくれました。産婆冥利に尽きます。

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  • 現在、朝比奈は左半身が不自由なので直接お産には関われません。夫が緑町診療所の1床で自然分娩をやっています。ここでは若い助産婦がお産をやっています。妊婦健診時には、朝比奈も若い助産婦と一緒に お話をさせてもらっています。実は半身不随になり、一度はお仕事を断念しようと思いました。おかげさまで生かされたので「まだ私のやらなくてはならないことがあるのでは」と思いなおしました。今のところ言葉には何の支障もありません。お仕事を少しでも違う形で続けられれば嬉しいと思っております。

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