90歳の自宅出産と病院出産
公開日: : 日々のこと
今日は5月の連休の最後の日のデイケアです。ここのデイケアは連休はありません。私は今日は週に一回の一日中のデイケアです。ここでは入浴があり、またお昼を食べます。その後30分のお昼寝タイムです。その他は集団体操、歩行訓練と続きます。
最初は一日中のデイケアで疲れ、大変でしたが30分のお昼寝タイムが取れ、有難いです。今日は出来るだけ杖を利用して歩行をしたかったのですがどうしてもお風呂の後は車椅子になってしまいます。しかし車椅子は自分で足を使い車椅子を動かしますので、スタッフの方の力は借りません。
今日は90歳の高齢の方とお話ししました。
彼女は90歳ですが歩行器を使ってしゃんとして歩行しております。認知の様子は一切見えません。私は出来るだけ高齢の方を見つけてはお話しをするようにしております。
この方はお子さん二人を自宅出産したそうです。自分は自宅出産にあんまり肯定的に考えていないように見受けました。つまり当時は病院へ行くのが新しい考えで当時はお金持ちは「病院でお産をするという風潮があったようです。」彼女の言葉の中に「自分の母は早く亡くなったので病院へのお産の選択肢はなかった」と、自宅出産より病院出産をしたかったように見受けられました。赤ちゃんは母乳でしたか?」と伺いました。すると、2人とも母乳栄養だっというのです。
彼女の様子ですと、なんとなく自宅出産をしたのが、後ろめたい感じがしていました。
私は自分の自己紹介をする時、私は「産婆です」と言って「実は私は若い頃病院の助産師をしていたのです。その時は病院では助産師は人手不足でおっぱいのお世話ができなくて、おっぱいがでないとミルクになってしまった方が多かったと思います。ですから あなたは自宅出産で産婆が毎日家に訪問してくれておっぱいのケアをしてくれたのではないですか?ですからあなたは自宅出産で良かったのかもしれません」と彼女が自宅出産を否定的に考えているのを、私は自宅出産を肯定的に考えるように言いました。
もう1人の90歳女性の方のお話
彼女も90歳です。認知症は見えません。彼女は2人の娘を小さな病院で産んだそうです。私は彼女に「赤ちゃんにおっぱいをあげましたかと伺いました。すると彼女はオッパイが出なかったのでミルクをやりました」と言いました。そうです当時病院でのお産はあまりオッパイのことを重要視していなかったと思います。また助産師も足りなかったので母親への母乳ケアーはおろそかになったと思います。この2人の高齢の方とのお話でいかに当時の病院のお産のケアが母乳を大切にしていなかったかよくわかります。
私の近所の80歳後半の女性のお話
彼女は1人目のお産は自宅出産で、赤ちゃんが未熟児でしたが、お部屋の温度を保育器位なの温度にあげ未熟児の赤ちゃんの世話をしてくれた産婆に大変感謝しておりました。そうして2人目の妊娠の時に周りの人々が病院出産を勧めたので病院でお産しましたが、彼女は全然病院出産は良くなかったと。私が産婆だというのを知ってか、私に訴えるのです。90歳くらいの方のお子さんはだいたい60歳以上です。昭和40年代にお産をなさつていた方が多いでしょう。当時病院のお産は医師主導で医療が優先し本来お産は自然なのですが、自然なお産ではなく人工的に陣痛が弱かったらすぐに促進剤を使って陣痛促進します。また産婦の会陰部を切開縫合をします。産婆のお産は自然を尊重し、陣痛が弱かったら、近くを散歩をしてもらったり、または家に階段があったらその階段の昇降をお願いすると、陣痛が自然に強くなり、薬剤や医療機械は使いません。待つお産をするのです。自宅出産と病院出産との比較検討した事例は今まであまりなかったのではないでしょうか?戦後産科医が正常出産を扱うようになり医師が病院を開業する人が多くなり病院が増えました。戦前は産婆のお産が異常になった時医師を呼んで医師が対応してくれていました。戦後は産婆の影が薄くなり、医師が正常のお産ができるようになり病院のお産が大変多くなったのです。
当時女性は病院のお産が近代的でまた医師がいるので何かあった場合のためにも安心だと感じて多くの女性が病院へ、病院へとお産がいつの間にか自宅から、病院のお産が急激に増加してしたのです。
さてあなたはどこでお産をしますか?
自分主体の自然なお産はあなたにとって人生が変わりますよ。
是非チャレンジしてみてください。
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