人間的な愛のあるお産へ
公開日: : 日々のこと
「医療の人工的なお産から自然の人間的な愛のあるお産へ」
私は82歳産婆(開業助産師)です。
病院のお産
私は昭和41年(1966年)助産師の免許を頂きました。その後、病院勤務助産師としてお産で有名な大病院で働きました。当時日本は高度経済成長期(1955〜1973年)でした。ですからまた病院ではお産の数が多く、お産は大量生産のベルトコンベアのようでした。それは人間工場のようです。そうして私たち助産師は20代の若い助産師二人がお産を取り上げるために分娩室の中を夜中じゅう走りまわって10人のお産を取り上げたことを思い出しました。私は寄宿舎に帰ると背中が痛くて大変でしたが、一晩寝ると元気になり次の日もお仕事ができました。それは私が若かったからでしょう。今思えば女工哀史みたいです。当時のお産は、人の手の温りを感じるお産でありません。
助産師は人手不足で医師の言われる指示を必死で医療処置していたのです。ただ流れ作業のお産をして来たのです。赤ちゃんを抱いて退院して行く母親が「二度とお産は嫌だ」と言いながら自宅に帰って行きました。
私の頭に「何故、お産が嫌だと思ったのか?それがずーと私の頭にありました。
幸せなお産とは?
そうして、本当に女性にとって幸せなお産はどうあるべきなのか?
私の幸せなお産への追及が始まりました。
私は当時まだ年齢が20代です。当時病院出産に満足するお産でなく、ただ病院に行けば赤ちゃんを産めるのだとほとんどの人がなんの疑問も持たず病院へ、病院へと脳に刷り込まれた様に行っていたのです。
私は今82歳になり、昔のことがまだまだ今に繋がっていることに気が付きます。
高度経済成長期に生まれた方は団塊の世代の人と呼ばれています。
愛あるお産の体験
私の所にちょうど50歳位の方が私の助産院でお産なさった方が私の家に来て色々人生相談にきました。そうしてお話を伺うと、二人とも母親と娘がしっくりいっていないことに気が付きました。何となく彼女らの母親は娘を産んだ時にどんなだったか?50年前を想像してみたのです。そうしたら、丁度出産ラッシュで、彼女らの母親が幸せなお産をしていなかったことに気がつきました。
娘とうまくいかない原因は、娘に対して「勉強」を強制したり良い学校、良い会社に入ることが母親自己満足の為の娘への強制だったのでしょう。
母親は自分の望み通りに育たなかった娘に対して、愛情をかけなくなったので、娘と母との間に軋轢が生じたのかもしれません。
それは「母親が愛されて出産していなかった」からではないでしょうか?
と82歳の産婆が追憶するのです。つまりお産に愛情が必要だと感じるようになったのは私が40歳で自然のお産を畳の上でお産をしその後50歳で開業して自宅のお産をやることができてから、やはり助産師の温もりのあるお産がいかに大切であるかを感じることができたのです。
戦後日本のお産はGHQが、産婆学校を閉鎖させました。その後産婆の養成はされません。医師は戦前産婆のお産が異常になった時支援してくれていました。
戦後は医師は正常のお産を出来る様になり、沢山の医師が正常のお産を開業する様になりました。
多くの女性はお産をするのは病院が良いと考える様になったのです。それは病院は自宅より施設が近代的であり、施設が綺麗で、医師がいるので安心と急激に病院へとお産する場所が変わりました。
「保助看法」
私は戦後、保健婦助産婦看護婦法の中で、助産婦として、養成されました。1948年産婆の名前が、助産婦になり、2002年助産師と名称が変えられました。産婆は戦前、戦中「産めよ増やせよ」と国策に必死に協力して働いて来たのですす。私は戦後、教育された助産婦です。先輩の産婆がどんな風に自宅出産をして来たのか一切学ばず、病院の医師に従属したお産をして来たのです。今考えれば病院のお産はまるで近代的ですばらしいもののようにうけますが、お産は人工的で医療的で薬剤や産科医療器具を頻繁使用した、人工的なお産です。本来お産は自然であるのに病院のお産は女性の大切な会陰部を切開し、赤ちゃんを出産させるのです。
本来産婆のお産では自然で待つお産でした。母親は産婆に大切に温もりのある手で、痛みのある腰などをマッサージしてもらいながら 無傷でお産していましたが、病院の医師のお産は病理としての考えるので陣痛が弱ければ陣痛促進剤を使用したり、または子宮の口を開くため「ラミナリア」と言った海草でできたマッチ棒よりちょっと太いものを子宮口に挿入し、子宮口を開かせるのです。また赤ちゃんがなかなか下がらない時は吸引器や鉗子を使って赤ちゃんの頭を無理やり引っ張って赤ちゃんを出産させるのです。赤ちゃんの頭は時には布袋様の様に伸びたり、あるいは擦過傷になりその部分を湿布するのは助産師の仕事でした。
産婦は人工的な医療さそを使うと、出産時自ずと出血量が多くなります。そうすると、止血するため、「血液凝固阻止剤のフイブリノーゲン使ったことで後になりC型肝炎を罹患した方が増え社会問題になりました。
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