この頃思うこと

公開日: : 日々のこと

私はもう79歳です。なんだかいつの間にかこんな歳になりました。実は先日、夫の誕生日でした。彼は私より2歳年上ですので,お陰様でこんな歳になります。
私がこのような脳卒中になり本当にやっかいに、なっています。彼の性格と、私の性格は真逆です。少し若い頃、つまり産婆のお仕事をしている時は私が即決即行動という性格なので,結構彼と闘いの日があったりしましたが,それがこの頃はこの病になり私は彼の言うことを素顔に聞くことができるようになったのです。つまり、ゆっくり丁寧な行動が必要なのです。まるで彼の性格が大切だと,この病気になり気づいたのです。夫婦って不思議ですよね。やっぱり赤い糸でつながっているのかもしれません。若い頃は自我が強く、よく口論した感じです。この頃は彼が言うと「あっ、そうね」と素直な自分がおります。ありがたいです。やっぱり80歳近くまで生きなくては本当の夫婦はわからないのかもしれません。そうです。そうして、朝起きると「おはよう」から始まります。コーヒーに蜂蜜スプーン一杯入れ、また林檎1コ、皮付き小さく切って,玄米小豆いりごはん、卵焼き2個、具沢山の味噌汁、野菜を炒め、ナムル、魚と朝食が一番の御馳走。そうです。週3回の筋トレで頑張るので栄養をつけるためです。これを彼が準備してくれます。有り難やです。なんと私がズボラな奥さんでしたから、結構 長旅2.3日いや娘が高校の時カナダの学校に行っていたので,彼女に会いに行くと言って月単位で家を空かしていたこともあり、その間彼は自炊して それが私が今何も家事ができなくなっても、私の世話をできるのかしら?と思ったりしています。よく知り合い奥さんが、もし私が何かあった時,うちの夫はどうなるかしら?あの方のご主人は何にもしないようだわ。とか聞きますが、私は別に夫に何かしてほしいと願ったのではなく、もちろん彼が自分で自立していた、いや自立してきたのかもしれません。私の家は一人っ子です,幼児の頃大変なアトピーで毎日毎日夜痒くて痒くて夜中に2回くらいお風呂に入れたりして、気持ちよくなり眠ることができ、それも夫の協力があったから今があります。また私の母はお産の時、もう亡くなっておりません。誰の助けもなく、病院に2週間置いてもらい、後は次の日からご飯炊き、洗濯、全てやりながら、子育てをしてきました。買い物は夫の仕事。
やっぱり女性は、お産の時一番母親の助けが欲しいですね。しかし,私は出産の時「あっ,私は自分のお産のため産婆になったのかも」とすぐに合理化して考えたので,自分の母がいないとか、産後のお手伝いがいないとか、考えることなく、夫と共に子育てをしてきました。それで40歳でお産をしたので、まるで体力的に大変でした。つまり産むために日々運動し、産むのは簡単、育てるのが大変というのが実感でした。しかしそれも全て、夫のサポートを感じながらの子育てでしたので、それが女性としても、一番の感謝ですね。つまり全て、1日で出来るのでなく、日々の感謝がつながり今があるのだと実感しています。常に良い言葉を使い、マイナスの言葉は控え、楽しく今が一番大切なのですから。前と上を向いて。「ありがたや、ありがたや」そうです。その日まで頑張ります。夫になかなか感謝の言葉を言えないので、ここに書かせて貰いました。「お誕生日のお祝いを何にもできていませんでしたので、感謝の気持ちです。」ありがとう。いつまでも元気で!

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  • 現在、朝比奈は左半身が不自由なので直接お産には関われません。夫が緑町診療所の1床で自然分娩をやっています。ここでは若い助産婦がお産をやっています。妊婦健診時には、朝比奈も若い助産婦と一緒に お話をさせてもらっています。実は半身不随になり、一度はお仕事を断念しようと思いました。おかげさまで生かされたので「まだ私のやらなくてはならないことがあるのでは」と思いなおしました。今のところ言葉には何の支障もありません。お仕事を少しでも違う形で続けられれば嬉しいと思っております。

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