雪道は怖いです

公開日: : 日々のこと

1月5日滞在型のリハビリに入居しました。しかし金 土 日には自宅に帰っていましたので、そんなに長く滞在型リハビリでステイしませんでした。
でも最初、初めてトレッドミルに乗れるのが楽しみで大変楽しくリハビリをすることができました。しかしだんだん寒波が押し寄せるのに、前から膝痛があり、その後、膝が痛くて動かなくなり、リハビリを休んでベットで2.3日休養をしたりしていたのです。膝痛の時に動くと、その後もっと歩くことが難しくなるかもと頭をもたげたりしました。夫も毎日私の体の状況が心配で電話連絡をしていました。

実は28日は兼ねてから予約をしていたコロナワクチンの接種日です。
しかし25日東近江市は大雪です。30センチくらい積もりました。それに天気予報は27日も雪がぱらつくというのです。本来ですと、こちらのスタッフの方に家まで送り迎えをしていただいていましたが、天候が怪しいので家まで送り迎えはキャンセルしました。

すると、夫が自分で迎えに行くからと言い出しました。彼は82歳になります,そんな彼が雪道でここまでくるのは危険だから、決して来ないでと念を押したのです。彼は私の願いを聞いてくれたかに思えたので、私はホッとしてこちらのスタッフの方にも今回の週末は家に帰らないので食事をお願いします。と言ったのです。
そうしてリハビリが終わって、ちょっとベットでリラックスしていたのですが、丁度16時ごろ電話が夫から「今大津」
私はびっくり「えっどうして?」
「今日は来ないと約束したのにと」
私は怒りが頭にのぼりました。そうして「ここの場所分かる?」と詰問しました。彼は「なんだかちょっと道が違うみたい」と言うのです。私は「今どこが見える?」と聞くと、大津プリンスと答えるので「じゃその大津プリンスの駐車場で待っていて。タクシーでそこまで行くから」と答えて電話を切りました。彼は一度私が初めて自宅からリハビリまでお迎えの車の後をついて、リハビリまできたことがあるだけです。
それも高速道路を使わず湖岸道路を使ったので、私でもここまでくるのがわからないと思います。その上ナビもスマホのグーグルに頼ることもできない丸腰でどうしてここのリハビリまで来ようと行動を起こしたのか不思議です。ある意味、怖い決断です。
雪模様の夕方タクシーは見つかりません。結局こちらの幹部のスタッフさんにお願いしたら近江大橋を渡ったら大きなモールがあるから、そこの駐車場まで来れば私を連れて行けると言うので夫にはそのモールまで来てもらうことにしました。そうしてそのモールにはリハビリから10分くらいで着きました。駐車場をぐるぐる2.3回電話しながら回り、彼と彼の車を探しやっとのこと彼が車の外に立っているのを見つけました。内心ホッとしました。そうしては私は夫の車の助手席に乗り自宅まで湖岸道路を行きました。2時間以上かかり、近江八幡に到着です。
8号線を東近江方向に車を進めます。8号線は雪も残っておらず安心です。しかし狭い道は危険です。まだ解けていない雪が残っているからです。いよいよ8号線から脇道に行かねばならない時私は「脇道でなくこの8号線を真っ直ぐ言った方が良いのでは?」とちょっと 声を小さめに言ったのです。
脇道は大きな会社の前に道沿いに大きな木々が立っていて,そこはいつも太陽が当たらないので私はちょっと危機感を抱いたのです。彼は特に私の意見を聞かず脇道を進みます。退社帰りの車が列をなしています。そこの道は雪はありません。彼の車を速度は控えることなく、私が心配していた道に来ました。ガタガタと雪の塊が車に接触する感じが伝わってきます。恐怖を感じた瞬間、車は急にくるりと方向を変えるのです。つまりこれがスピンというものなのです。私は大きな声をあげていました。体は硬直し頭は真っ白です。
車は逆に進むのです。幸い近くに車はありません。
右側にある広場に車が入ることができました。生まれて初めての経験です。私は30歳代から脳卒中まで77歳まで車を運転してきました。そうして雪道は怖いことをよく知っていたので、雪の日の外出は控えていました。もし雪道でしたら,ノロノロ運転で、ハンドルを小刻みに動かしながら運転する慎重さです。しかし彼は67歳からの運転暦です。それまで私がアッシーさんでした。なぜ彼が67歳で運転を始めたかは、やっぱり私だけが運転していると私に何かあったら困ると思い高齢になって勇気を持って免許をとったのです。しかしまだまだ運転は危険だというのが体で理解していないのです。特に雪道は怖いことが理解できていないのです。私は雪道でこんな事故初めてです。それも、他人を巻き込まなかっただけありがたかったです。
その後彼は車の方向を変えゆっくりノロノロと運転し、近くのコンビニの駐車場までゆき自分で車を降りて、車の周りを一回りどんなに壊れたかを点検して「大丈夫」と言いながら運転席に乗ってきました。私は助手席で左膝下に痛みを感じます。ちょっと手で触っていたら、さわれました。

打撲です。こんな程度で本当によかったです。またその車を自宅までノロノロ運転してきました。お陰さまです。夫は無傷、私は麻痺側の左の膝下に打撲だけ。しかし家まで到着するまで30分以上ノロノロ運転、どうにか帰ることができました。家に着いて自分の足を見て、大声で「痛い」と悲鳴を上げました。
そうして、打撲のところに湿布を貼り冷やして寝ました。もう夜の9時です。私はトイレに行くのに大変です。大声で「痛い、痛い」と陣痛の時でも出さない声をだしました。例のごとく車椅子はないので、本当にトイレが困りました。紙おむつをしているのでどうにか助かりました。
夕飯は夫が作ってくれた温かい具沢山のスープそれをおいしく食べ、薪ストーブの前にベットを出してもらい、左足をあげ朝までたっぷり寝ました。そうして朝トイレに起きる為、足を下に下げました。なんと昨日の痛みは少なくなり、足を置くことができたのです。
あんなにいたかったのに私ながらすごいと驚きました。あの1ヶ月の滞在型リハビリで毎日6時間のリハビリがやっぱり功を奏すしたのかも、と私は驚きました。
しかし、まだまだ外傷の足の痛みはすごいです。そういえば私は回復期のリハビリから帰宅して数ヶ月後、二階の階段より8段くらい落ちた時に麻痺側の左側の側面を打撲して真っ黒になり、その時病院に行かず漢方の民間療法の膏薬で治癒させたことがあります。丁度、その膏薬が残っていたのでそれを使い、どうにかこうにか頑張っています。
また脳卒中の原点に戻った感じですが、お陰様で骨折がなかっただけありがたいです。
でも3月1日にイベントが控えてきます。私は気がどっぷり落ち込んで、予約したホテルをキャンセルしようかとまで思ったのです。考えてみましたら,何でもかんでも自己決定、夫に相談したら彼は「イベントの日まで時間があるからそれまでゆっくり回復させると良いのでは?」と言いました。でもこんな痛さでは私は無理かもと言いました。すると彼は「私が車椅子を押すから」と言ってくれたのです。娘は「やっぱり親族と会っておいた方が良いよ」と。これまた最初は「そんなイベント自分はあまり気が進まない」と言っていたのが、彼女の言葉に私は感動しました。こんな事故があって、改めて家族の大切さを感じました。

全てありがたやですね。今のところどこのデイケアもお休みし、ゆっくりと薪ストーブの前で窓から隣の神社の森の木々を見ながら静養して、夫と 昔のお産談義に花咲かせて幸せな時間を過ごしております。

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