我が家に幸せ届く

公開日: : 日々のこと

このご一家は2023年12月17日日から23日まで滞在してくれました。ご夫婦と三人の子供たち。一番上が5年生、3年生、4歳です。
彼女実家は長崎県です。しかし通常は米国で在住です。
私の家の助産院で二人お産をしています。しかし三人目のお子さんは彼の国での出産でした。そのとき、私は米国で彼女の自宅出産に参加しようと、彼女の自宅に2週間以上ホームステイして彼女と日々ジムに通ったり近くの公園を散歩したり楽しい日々をすごしました。彼女は三人目のお産です。しかしお産は予定日を2週間以上過ぎても陣痛が来ません。なんだか、三人目は早く生まれそうですがそうは問屋はおろしません。それが1人目のお産にそっくりです。一人目の赤ちゃんのお産の時も全く同じでした。予定日2週間遅れてその上高位破水でした。まさに今回も同じです。どんなに山のような森をのぼっても陣痛が来ません。米国の鍼灸まで行きました。しかしそれも無駄でした。
二人目のお子さんはのお産は日本の私の家でした。男の子です。彼は私の家の助産院で30分もしないくらいの超短いお産でした。
しかし三 人目のお産はまるで一人目のお産と同じです。どうしてでしょうか?に一人目と三人目のお子さんは女の子です。なんだか女の子はゆっくりのお産なのでしょうか?分かりません。そうして、私は感じたことがあります。それは私が、長く彼女の家にステイしていたことが、彼女の気持ちの緊張が取れないのではないかと。しかし私は彼女のお産のために米国にきたので、帰国するに日程をのばしたのです。どうしても、2回目の帰国延期ができなく結局帰国の日が来ました。私は彼女は私が帰国しないと生まれないだろうと確信をしたのです。軽い腹筋が来ていましたが、なかなか本格的な陣痛が来ません。
そうして、帰国の朝 彼女に私は言いました。「あなたは私が帰ったら、すぐ陣痛がくるかもしれません。そんな時、早く助産師に連絡してください」と言って空港に向かいました。空港で飛行機を待っている間1時間後赤ちゃんが産まれたと動画が送られてきました。
「素晴らしい、無事産まれたことに本当におめでとう」しかしその日の飛行機は3時間待っても来ません。どこかでトルネードがあり、飛行機が遅れているとのこと。やっと、どうにかダラスまで飛行機が行くことができましたが、私はその後カナダのバンクーバーに行く予定でしたがエアーカナダの飛行機はキャンセルで飛ばなくなつたのです。そんなこと、私1人でどの様に乗り越えるか必死で考え、ブロークンイングリッシュで案内係の男性に必死にバンクーバーに行きたいと言ったら、急に「エアーアメリカン、シアトル」と言ったので、急に走って アメリカンの飛行機に乗り込み、シアトルに向かいました。どうにかシアトルまで到着しましたが、荷物がありません。そうです。ケンタッキーからバンクへバーまで載せた荷物です。シアトルにあるはずはありません。しかし朝4時にエアカナダやオフィスが開き,バンクーバー行きのチケットをもらうことができました。そうしてバンクーバーに無事午前中着き、知り合いの人と会うことができたのです。1人で飛行機に乗ってアクシデントがあり、よくそれを乗り越えることができ本当にありがたかったです。

そんな帰路でしたが、お産に間に合わず無事に産まれたことで、心は大変幸せでした。

そうしてコロナ禍を過ぎこの赤ちゃんも4歳になりました。ご家族を迎え、日々子どもの声を聞きながら私の家はまるで孫を3人迎えた様で、大変幸せでした。これは産婆の家だからでしょう。高齢になった産婆の家にステイしてくれることの幸せを感じ、昨日は温泉に、今日は彼女の友人と共にお別れのパーティー。明日彼らは奥さんの実家の長崎に帰り。実際には来年一月中旬に帰国予定です。
この度は本当に笑いと希望をありがとう。
またいらっしゃってください。

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  • 現在、朝比奈は左半身が不自由なので直接お産には関われません。夫が緑町診療所の1床で自然分娩をやっています。ここでは若い助産婦がお産をやっています。妊婦健診時には、朝比奈も若い助産婦と一緒に お話をさせてもらっています。実は半身不随になり、一度はお仕事を断念しようと思いました。おかげさまで生かされたので「まだ私のやらなくてはならないことがあるのでは」と思いなおしました。今のところ言葉には何の支障もありません。お仕事を少しでも違う形で続けられれば嬉しいと思っております。

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