終活として講演会を開催

公開日: : 日々のこと

終活として「女性に幸せなお産を」の講演会を行いました。

私は82歳産婆(開業助産師)です。講演会は市立図書館で開きました。定員30名でしたが、さてどこまで参加してくださるか心配でした。しかし約30名はお集まりいただき、私の「産み方は生き方」のお話と、参加者のお産体験を聞くことができました。

さて私は今回なぜ講演会を開いたのでしようか。私は脳卒中を発症して5年経ちます。今回初めて、皆様の前に出て、私が常日頃感じていることをお話しする機会を得られ大変幸せでした。

私はいつも気になることがあります。この頃の若い女性達が、何だか、お産は怖い痛い、不安だと、「無痛分娩に」に逃げている現実です。私はその現実を問題視して、自然なお産から、私達は沢山のことを学ぶのに、自分の大切なお産を誰かに投げてるのは、大切な宝物を捨てているようなものだと思うのです。そこで、少しでも、女性達にわかって欲しい。今回何か私にできることはないかと、思い立ち「産み方は生き方」の本をもとに思い立ったら吉日の言葉通り、即、行動を起こし、市立図書館に行って2階の大部屋のお部屋を借用する相談にに行きました。そうして、今回の講演会を実施できたのです。私はなぜこの行動が取れたのでしょうか?

実は私の娘の子供が、一才のお祝いをソウルの親戚としたいと、6月に我が家は一家総出でそのお祝いのため、ソウルに向かいました。そうして、ソウルに在住の夫の弟一家と初めてお会いでき、楽しく親戚の絆作りができたのです。それは夫のいわば終活だった、と思います。5日間の我が家の大イベントを終え私は家に帰りました。このイベントのアイデアは娘のアイデアです。貧乏な老夫婦にとってこれは大変な散財でしかないかな?と思ったのですが、いや、それは違う、得たものは目に見えない、素晴らしい親族との絆です。私は夫が病弱をおして、娘に自分の弟の家族を目の黒い間に紹介できたのは素晴らしい事だと感謝しました。
そうして、私はどんな終活をしたら良いかと私の脳裏に閃いたのです。それは私が、脳卒中を初症しても使命があるのでは?といつも思っていた事。出来れば私のお産観を人々と共に語ることができれば嬉しいと思い決断した講演会です。
出来ればまだ妊娠していない若き女性達の啓蒙ができればと思ったのですが、あまり若い女性の方の姿は見えません。しかし高齢の方も参加があり、お産を女性達と共に考えようというのは少し満足だったかしら?と思われました。私の助産院で出産した方や自宅出産した方の感想は、お産に満足し、幸せだったとの意見が出たのはとってもよかったと思われました。

私は助産師学校を卒業して病院の助産師になりあまりにも医療的で機械的な出産をしてきた自分が、これで良いのか?といつも複雑な気持ちでいたのです。女性の本当の幸せなお産を女性が簡単に陣痛促進剤を打たれて、そうして赤ちゃんが人工的に産まされていた、ところには幸せなお産とは程遠いところでした。
お産は自然で生理的であることを私は病院出産をしている時に知りませんでした。しかし真実を教えてくれたのは私が、40歳で畳の上で薬も使わず、自然に産んだ経験が私を変えました。
人間は40歳の高齢でも自然なお産ができるのだ、そうしてそのお産は私に沢山の感動をくれました。 
これが幸せなお産です。
やはり自然なお産が、幸せなお産です。多くの女性達に幸せなお産していただきたいです。

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  • 現在、朝比奈は左半身が不自由なので直接お産には関われません。夫が緑町診療所の1床で自然分娩をやっています。ここでは若い助産婦がお産をやっています。妊婦健診時には、朝比奈も若い助産婦と一緒に お話をさせてもらっています。実は半身不随になり、一度はお仕事を断念しようと思いました。おかげさまで生かされたので「まだ私のやらなくてはならないことがあるのでは」と思いなおしました。今のところ言葉には何の支障もありません。お仕事を少しでも違う形で続けられれば嬉しいと思っております。

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