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自然なお産(過去のHPより)

公開日: : 最終更新日:2014/10/06 自然なお産

イタリアの女性の訪問
随分長い間このホームページに書き込みをしませんですみません。

実は一昨日一つのメールがありました。

その方はイタリア人の若い女性です。
彼女は人類学をスペインで勉強をしており、かねてから女性の自然
分娩について興味を持っていたようです。
そこで彼女は丁度友人と一緒に日本に来たので是非日本での自然分娩のお話を聞きたいと言う事で私のところのHPをみてe-mailを書いたそうです。

最初本当にこの人を信じて良いのか迷いましが、彼女が私の所へ来て
自然分娩についてお話したいというので、承諾しました。
そうして次の日(7月3日)午後1時の米原の駅に降りました。

私の所で妊婦健診見学をし、その後近くの温泉に行ったりしてリラックスしながら自然分娩のお話をしました。彼女は25歳
今年スペインの人類学の大学を卒業し、卒業旅行のようなあものだそうです。
だいたいイタリアの人はあまり英語も話せる方は少ないと聞いていたので本当に助産院を尋ねてくるのか少々不安でした。

しかし彼女は若いのに非常に東洋の思想に興味を持って瞑想やヒーラーの事、また心身のリラックスの事などに興味を持っている感じでした。
イタリアやスペインの人は現在あまり自然分娩に興味がないようです。しかし彼女は現在出産があまりにも現代医学的になっているのに疑問を持っているようで、 彼女は実際自然分娩をやっている助産婦や医師にあってお話をしたいようでした。私は彼女が若いにも関わらず本当に自然に対する考えなどがしっかりしている の本当に驚きました。

まだ25歳の若い女性がそれも西洋の思想の中で自然な出産に興味を持つ事は自然の流れなのかも知れません。
ヨーロッパではオランダでは自然分娩が非常に進んでおり、約30%以上の人が自宅出産をしているようです。

しかしラテン系のイタリア、スペインの人々はまだ自然分娩に関心が少ないようです。
もちろん私の英語もつたない物で本当に彼女の聞きたい、言いたい事が的確に把握できたかどうか不安ですが、ただ彼女が日本で自然分娩について学びたいという意欲で[たたけ、さらば開かれん」と勇気も持って私の所に連絡をとってくれたのも大変素晴らしいと思いました。
そうして彼女は吉村正医師のこともイタリアで自然分娩の医師である
という事を聞いていたので、彼女は吉村医師にお会いしたいというので直接連絡を入れ、本日7月4日にお会いしたのです。

吉村医師はご高齢ですこしお体がご不自由の感じでしたが、突然のイタリアの若い女性の訪問を心良く受けてくれました。
本当に嬉しく楽しい日でした。

自然分娩がこのように今やインターネット時代どこへ行ってもすぐに
分かるし、また訪問することも出来るのだと実感しました。
是非イタリア、スペインも自然分娩が若い女性の中で増える事を夢見ています。

Mさんこれからも頑張ってください。
吉村先生ありがとうございました。

201374
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8月23日に産まれました。
お姉さんが初産のとき助産院について2時間で超特急の出産だったので自分ももしかしてそのくらいでお産になるだろうと思い込んでいました。そうしたら助産院へ到着して13時間でお産でした。
ちょっとお産に対する考えが甘かったと後悔しました。
でも、子宮口が全開になっても助産院の階段を夫と一緒に昇り降りしました。そうすると、陣痛が強くなり、あれよあれよと本当につるりと赤ちゃんが産まれました。
最後は本当にあっけない感じでした。
今は子育てがとても楽しく、可愛くてしかたがありません。
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2人目を自宅で出産しました。  09年7月13日生まれ
私は一人目は助産院でそうして2人目は自宅出産で出産しました。
無事に自宅出産出来本当に感謝してます。
特に夫には世話になりました。
お姉ちゃんが赤ちゃんを可愛がっています。
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朝比奈助産院への案内状  H21年3月3日 小山秋子作
ここはお化け屋敷?
それとも魔女の家?
いいえ。ここは
お産道場です。
「私は産ませてもらうのも
産まされるのもイヤです。
大自然の力をかりて
私が産みます」
と言い切れるものだけが
この門をくぐることができます。
安産に近道なし。
太郎坊の石段ひとつひとつに
授かったことへの感謝と
安産の祈りをこめ、
一歩一歩、登り続けた者だけに
頂上の素晴らしい景色。
それは
生まれ来る我が子の人生が
苦労はしても実りのあるものにー
との願いであり、
苦しくてもあきらめないで
必ず生まれるからー
とのメッセージでもある。
自然に産む。それは
何にもしないくていいという
意味ではなかったんだ!
歩こう、歩こう
登ろう、登ろう
それが安産への道。
産み方は生き方
生まれ方もまた、
生き方へと続く。
続く命のために
どうか美しいお産を。
どうか愛あるお産を。
ちょっと勇気がいるけれど
大きな木のとびらを開けてみて
厳しくもあったかい
21世紀の最後の産婆が
あなたを待っています。

(小山秋子さんは2月25日に3人目の女の子を助産院で自然分娩しました。ご主人、2人のお子さん、それから実母、実父に囲まれ楽しいお産をしました。おめでとうございます。朝比奈順子)

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私のお産      2009年2月23日 後藤 絹江

私が初めて妊娠したのは2007年6月のことでした。もしかしたら…と思い、産婦人科を受診。子宮の中に小さな受精卵が見えま した。私と夫はこの卵に「いっちゃん」と名づけ、初めての妊娠に舞い上がっていました。しかし、1週間経ってもこの受精卵は大きくならず、結局2週間後、 出血と今までにないひどい腹痛とともに、私のおなかからいっちゃんは消えてしまいました。そのときの痛みと悲しみが、私が母になる出発点でした。
流産後は、体よりも精神的に参ってしまいました。初期流産は卵の問題だから、自然淘汰のひとつだから、「あのときこうしなければ・・・」という自分への問 い詰めはしなくてよいと担当医からも言われました。でも、その卵自体は私の体の一部。つまり、私の体に妊娠に十分に耐えられない原因があるはずだと思い、 何が原因なのかを追求しないと気が済みませんでした。一日中インターネットで「初期流産」「不妊」といったキーワードを検索する日々が続き、隣町にある鍼 灸院のホームページにたどり着きました。そこで、私は初めて自分の月経の問題に気付いたのです。もちろん、私の流産が月経に原因があるとは言い切れません が、昔から生理周期が不規則で半年近く生理が止まったこともあり、生理が来れば必ずといってよいほど、ひどい貧血と生理痛に悩まされていました。この生理 不順と付き合っていくことが当たり前なのだと思い込んでいた私は、まずはこの生理不順を改善して、受精卵が心地よく育つことが出来る子宮作りをしようと鍼 灸治療を始めることにしました。さらにしっかり体と向き合うためにヨガも始め、冷え性の体質改善に食事も玄米・野菜(特に根菜類)を中心に変えていきまし た。
これだけで妊娠が出来るという保証はどこにもありませんでした。でも、こうやって自分の体に向き合うことで、次の妊娠につながっていくのだと信じていました。
生理周期も完全に周期的になったとは言えませんが、基礎体温の低温期と高温期がはっきりと分かれてきた2008年3月、妊娠することができました。いつか 再び子どもを授かることができると信じていたものの、いつになったら・・・という不安も常にありました。だから授かることを出来た喜びとともに、もうこの 命を消してはいけないという重責で、不安や恐さが大きかったように思います。でも、やがてつわりが始まったときには、妊娠したという実感で喜びが大きくな り、今ではつわりのつらさをすっかり忘れてしまったぐらい嬉しく思ったことをはっきりと覚えています。
子どもを授かるまでの間、妊娠に関してだ けでなく、お産に関した本も読み漁っていました。私はそれまで「助産院」という言葉も存在も知りませんでした。周囲の友人達のように、病院で産むことしか 選択肢にありませんでした。でも、私のおなかの中でぬくぬくと育っているわが子が、おなかの外へ出てくるときに、どうやってあたたかく、安心させて迎えて あげられるか考えて、想像して、助産院で、私自身がリラックスできる環境で産むことを決意しました。
そして、予定日も近づいた2008年11月 18日の朝、「おしるし」がやってきました。久しぶりに見た下着に付いた褐色の血液。これがおしるしなんだと頭の中で分かっていたものの、流産したときの 出血の記憶がまざまざとよみがえってきて、震えがとまりませんでした。助産院へ震える声で電話しましたが、先生に「予定通りに検診の時間にいらっしゃい」 と言われ、助産院へ。その日から微弱陣痛が続き、ゆっくりゆっくりと息子はおなかの外へと近づき、11月20日の夜遅くに助産院へ入院となりました。
どんどん強くなっていく陣痛を逃しながら、必死で、でも「おいしい!」とはっきり感じながら2度の食事をしたこと。日が暮れていくにしたがって寒さが、尾 てい骨の痛みにさらに拍車をかけたこと。早くこの痛みから逃れたいと思うものの、もう後戻りできない、前に進む―産む!―しかないと、しっかり自覚してい たこと。私の隣に常に誰かがついていてくれたこと。陣痛を逃すことに必死になっている私のそばに、日常の会話や笑顔があったこと。・・・思い返すとたくさ んのことを感じながらお産へと進み、2008年11月21日17:15曜太朗がこの世に誕生しました。ようやく対面できたわが子にほっとするものの、誕生 の翌日の夜からは、授乳やおむつ交換に夫とともに必死な日々が続きました。ようやく出会えたこの命が大切すぎて、私には重すぎて、何度となく朝比奈先生に 「この子の生きる力を信じなさい。母になった自分を信じなさい」と励まされました。
退院の日は、青空が気持ちいい、小春日和でした。実家へ帰る 車の窓からは、赤・黄・緑のパッチワーク模様をした山々が見え、その景色は今でも鮮明に覚えています。私が必死に産み過ごした助産院での一週間で、紅葉は さらに進み、助産院の外の時間が私の知らない間に進んでいたようで、浦島太郎のような気分でした。一人の人間がこの世に誕生した!こんな非日常的なことが 起きたのに、世の中は何事もなかったように進んでいるように感じたのです。今ではそのことも、何気ない日常の中で曜太朗が誕生したように、昔からお産が繰 り返されて命がつながってきたのだと、思い返すことができるようになりました。
3ヶ月経った今は、スゥスゥと気持ちよさそうな寝息をたてなが ら、たまに夢の中でおっぱいを飲むしぐさを見せる曜太朗の寝顔を見るのが一番愛おしく思える時間です。私は結婚前に牛のお産や飼育に仕事で携わっており、 命と向き合ってきたと自負を持っていました。しかし、マニュアル通りに月齢を追って配合飼料を与えていくことに改めてむなしさを、産後は感じるようになり ました。マニュアルよりも、目の前にいる曜太朗が求めているおっぱいや遊び、毎日変わる要求を何よりも大切にしてあげたいと、とても思います。助産院で産 む選択をしてよかったと、マニュアルよりも自分や子どもを信じることを教えてくれた朝比奈先生との出会いに感謝します。
そして私には、いつかま た「いっちゃん」をおなかに迎えたいというおもいがあります。いっちゃんが私のおなかにやって来て、去っていったからこそ、自分の体と向き合って、納得の いくお産を選択でき、晴れて母になることができました。曜太朗がいっちゃんなのかもしれません。あるいは次に授かる子がいっちゃんなのかもしれません。ま だ分かりませんが、いっちゃんに「ありがとう」と直接伝えることが出来るまで、私は命を産みつなげる母でありたいと思います。

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*足を鍛えて安産に。     09.1.23
女性にとってお産が安産だと言う事は本当にその女性にとってとても幸せな事だと思います。しかし多くの病院では妊娠しますと、お大事に とか言われ、殆ど運動をしないでぶくぶく肥り、足も弱っており、結局陣痛が弱くて、促進剤を飲んだり、注射したりしなくてはならなくなっていないでしょう か。あげくの果てに帝王切開となっていませんか。

助産院では促進剤やお薬は一切飲む事は許されておりません。ですからまず、自分が自然にどう産むかと言う事にのみ考える事なのです。
私はこの頃、安産の為にはやはり自分が真剣に運動することだと思います。勿論それは、走る事ではなく自分が歩く事です。私の助産院では1日に2~3時間歩く、そうしてお産が近くなったら4時間くらい歩いてもらっております。つまり足を鍛える事が大切だと言う事です。
足は全ての源、出産する時も、逝く時も足がしっかりしている事が自然出産出来、自然に逝く事が出来る様に思います。
私 の所で出産した妊婦さんが「陣痛中、足がもつかしら?と不安になった。」と言っていた方がおりました。彼女は36歳の初産でしたが、どうしても自営業があ り、まともに歩けなかったので、そう感じたのかもしれません。しかし、もちろん彼女もマイペースの出産で自然にお産をしました。考えて見ましたら彼女の性 格があまりこだわらない、大変素直な性格がもしかしてお産はゆっくりでしたが自然にお産出来たのかと思います。しかし彼女は自分でもう少し足を鍛えておけ ば良かったと述懐しておりました。もう一人の妊婦さんは真剣に8ヶ月から毎日2時間以上歩いたり、階段が740段くらいある山を登ったりしていた方は初産 でありながら、陣痛が来てたった3時間以内で出産になった方もおります。彼女は助産院での出産を希望しておりましたが、あまりの分娩の進行が速く結局、助 産婦が彼女の自宅訪問して到着して20分で超安産でした。彼女の足の筋肉はしっかりとしまっていました。
人間は自分で自然に産む力は備わってい ると本当に実感しました。つまり犬や猫が自然にお産をすると同じように人間も自然につるりとお産が出来るのです。そうして産む力を出す為には日々の努力し かありません。足の筋肉をつける事はそんなに簡単ではありません。しかし実際に努力して筋肉がつくのです。
どうか安産を希望するかたは是非歩いてください。
また予定日が近づいたら、是非山や勾配のある坂道などせっせと歩く事です。そうすると本当に安産が出来るでしょう。

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『病院出産をした』Tさんよりお便りを頂きました。   09.1.20
私には、1歳3ヶ月になる娘がおります。
この子は近くの総合病院で産みました。
へその緒が絡めって心拍が低下したとのことで、会陰切開はしたものの3288グラムで娘を出産しました。
し かしながら、病院でのお産はなんだかマニュアル通りに進められ、1日に何人ものお産があるためか、私たち夫婦は陣痛室で2人未知の体験に手を取り合って頑 張っている中お医者さんや看護士さんの笑い声が外から聞こえてきたり、検診での流れ作業のような扱いに疑問をもちました。
心無い言葉に態度に何度涙したことかしれません。
一生に数度しかないお産。そんな命を生み出すすばらしい時を、大切にしたい。
娘を出産してそう思うようになりました。

* 大変悲しい体験をなさいましたね。でもその気持ちが大切です。今度はご自分でしっかりとお産についてお勉強をして準備をし、自分で産むという気持ちが大切だと思います。どうか次回は頑張って下さい。また何かご協力出来たら嬉しいと思います。

(週)東洋経済11月1日号 医療破壊を読んで。「読者の手紙」へ投稿
09.1.20

日本の医療破壊をテーマに11月1日号は特集されました。
その中で葉上太郎さんが「知られざる助産師の底力」”お産を数う切り札なのに院内助産所はなぜ広がらない”

と言うテーマで発表しておりました。
私はその感想文を東洋経済編集部に送りました。そうしたら
12月20日号jに掲載されましたのでここに載せます。
読者の手紙
助産師を独立した資格に  朝比奈順子 滋賀県東近江市、

11月1日号の特集「医療破壊」に助産師の記事がありました。
助産師の実情を伝えるよい記事でした。私は以前は大病院で助産師をしていましたが、病院出産の現場が女性に優しいお産ではないことに気づいたのは、自分が 40歳で畳の上で出産したときでした。健康ならば医療を介さずとも、子供は自然に産まれる事を体験したのです。少数とはいえ今でも1~2%の助産師による 自然なお産があって増加傾向にあることはすばらしいことです。
記事では「産科医不足がきっかけとなり、見直されるこのになった助産師。本来の役 割を果たすことが、産科医を過労から救う」とあり、さらに「助産師とは何者か。今こそ根本より立ち戻って議論すべきだろう」とあります。もっともだと思い ます。日本では助産師の資格は、看護師が1年制の助産師養成施設で取るものになっています。しかし多くの先進国では、医師の介助者としてではなく独立した お産の専門家として認められています。日本でも専門教育を行い、独立した助産師を育てるべきときだと思います。

Yさんからのお便り  09.1.16
先日は、Rの子守中で、とても騒々しい場所だったので、失礼いたしました。
その日も、ニュースで、産科補償の矛盾点を報道していましたが、もう少し掘り下げて欲しいと思いました。ぷいぷいが(関西のTVの番組の名前)、今まで見たなかで、一番詳しかったと思います。しかし、医師も、最初に聞いていた話と違うと思っているでしょうね。
それと、訴訟が怖いという理由で、産科医になりたくないなら、絶対なってもらいたくない!産科の医療裁判に関する報道といえば、訴訟をおこすなんて、一生懸命してくれた医師に対して無礼だと、原告がおかしいかのような論調で、あくまでも、産科医の味方。
しかし、産科の医療過誤の裁判を担当した弁護士は、ある番組で、「普通のお産は、助産師に任せたらいい、医師が関わる必要があるのは、限られている。秘密主義を変えるべきだ」と断言されていました。その時だけは、胸がすく思いでした。
J先生は、「プルミエール」を、御覧になられた事と思いますが、映画を観た後、TVのインタビューで、二十歳そこそこの若い女性が
「日本のお産は、医療介入が多すぎて、不自然」
と感想を述べたのを、聞いて、とっても嬉しく思いました。
未婚の若い女性の方が、変な先入観がないから、素直に受け止めるのでしょう。私は、上映中は、観られなかったので、TSUTAYAで、レンタルするつもりです。
しかし、この頃私は、助産師の最も手強い敵は、ひょっとしたら、女性、しかも、病院で産んだ私達の世代のような気がします。また、同じ助産師でありなが ら、開業助産師に懐疑的な病院勤務の助産師もいると思います。こんなに、男女平等がさけばれる世の中で、男性の産科医の方が、上だと思いこんでいるなん て…
昔、裕福な家が、病院で産んだという、そんな差別意識があるのでしょうか。
J先生が、おっしゃるように、小さい集まりから、少しづつでも始めるべきなんでしょうね。
話は変わりますが、Lは、9ヶ月半で、歩き始めました。離乳食は、ほとんど食べさせていません。母乳だけで、全く問題なく育っています。
私達が、教えられた様々な嘘っぱち、本当に、腹がたちます。
双子の小学生からの親しい友人が、逆子で、帝王切開しました。このまま進んだら、凜が産む頃には、どうなっているのだろうと、不安になります。
医学なんて、ちっとも進歩してない、薬が開発されただけじゃないかと、思っています。

———————–
*これから妊娠する若い母親へ エールを送ります。 Yさんからの便り
2009.1.14
私は自分のお産についてはなんの勉強もせずただ言われる ままに、計画分娩、促進剤を使用したお産でした。そうして今そのように出産した自分が子供に申し訳ないと感じております。それから、少しお産について学び ました。そうして若い女性達にもう少しお産について学び、自分のお産を真剣に考えて欲しいと若い女性にエールを送ります。

自信を持って下さい。母には、産む力が備わっているのです。そして、赤ちゃんには、産まれてくる力があるのです。
だからこそ、赤道直下でも、砂漠でも、標高四千メートルの高地でも、きれいな飲み水さえなくても、どんな過酷な環境でも、母は産み、赤ちゃんは産まれてくるのです。
その時がきたら、十センチに満たない、人生で一番短い道を、何時間も、時には、何日もかけて、ゆっくり、ゆっくり進みます。赤ちゃんによって、胎盤の大き さも、臍の緒の長さも違うし、もちろん性格もひとりひとり違うから、お産にも、個性があります。母が不安になると、赤ちゃんも不安になり、お産がうまく進 まない事もあるので、赤ちゃんと自分の力を信じて、ゆったりと、腹式呼吸で、大きく息を吸って、酸素をいっぱい届けて、赤ちゃんを応援してあげてほしい。
そして、母に会える喜びで胸をいっぱいにして、頑張って、産まれてきた赤ちゃんを、どうかやさしく抱きしめて、おっぱいをあげて下さい。母に抱かれて、赤 ちゃんは、どんなに幸せを感じる事でしょう。母の温もりに包まれて赤ちゃんの人生が始まるのです。一生に一度きりしかない母と子の幸せな瞬間です。どうか 大切にしてほしい。
お産は、母と赤ちゃん双方に、生命にかかわるような、様々な急激な体の変化がおこります。その大変な時を乗り越えるのに、赤ちゃんにとっては母親が、母親にとっては赤ちゃんこそが、心にも、体にも大切な支えとなるのです。
赤ちゃんは、産後三十分から二時間位、意識がはっきりしていますが、その後、深い、深い眠りに落ちるそうです。
それはまるで、胎盤も出て、出血もとまり、母親が、無事であるのを、見届けて、安心して眠るかのよう。でも、赤ちゃんは、子宮と羊水に守られていた母の胎 内から産まれたばかりで、新しい生活に慣れるには、まだしばらくかかります。母が傍らで一緒に眠れば、赤ちゃんは、母の息づかいや温もりを感じて、落ち着 いて眠る事ができるにちがいありません。
眠りから醒めたら、赤ちゃんは、きっと、数時間おきに泣きます。ないたら、おっぱいをあげて下さい。よく泣いても、心配しなくて大丈夫。おなかが減ってい るわけではないのです。赤ちゃんは、三日分のお弁当を持って産まれてくるからです。おっぱいをのむ赤ちゃんや、あげる母が、初心者でも、大丈夫なように。
でも、母乳をのむ練習の間、ほんの少ししか出なくとも、初乳は、まだ抵抗力のない赤ちゃんにとって、大事な免疫物質が入っていて、赤ちゃんを病気から守る とても大切なものなのです。赤ちゃんは、おっぱいが生きていくのに必要だと知っているから、一生懸命吸います。何とか母乳がたくさん出るように。小さな体 で必死に頑張る様子は、いじらしくもあり、生きようとするたくましさもあります。。
そして、赤ちゃんにおっぱいを吸ってもらうのは、産後の母親にとっても、妊娠で大きくなった子宮を、元に戻す為に必要です。初産だったり、赤ちゃんをたく さん産まないとわからないかもしれませんが、私は双子を産んだ後、おっぱいを呑ませると、ウウゥって、声がでる程おなかが痛みました。子宮が戻る痛みで す。
そして、赤ちゃんは、何もわからず、泣いているわけではありません。泣く事しかできないから、自分の気持ちを伝える為に、淋しくても、不安でも、抱いてほしくても、おしっこをしても、げっぷが出そうでも、泣くのです。
赤ちゃんを、スリングにくるんで、母と密着させて育てる国では、おむつが要らないそうです。、産後 一週間もすれば、赤ちゃんのサインがわかるようになり、おしっこやうんこでスリングを汚す事もないからです。赤ちゃんの気持ちが母に伝わるから、あまり泣 かないとも聞きます。泣くというのは、赤ちゃんの自己主張なのだと思います。。
また逆に、赤ちゃんは、私達のこと、例えば、年齢、性別、人間関係、性格等、とてもよくわかっています。
この「わかる」という力は、生きていくのに、最も必要な能力です。赤ちゃんは、私達のように、経験で学んだ知識で判断しているのではなく、「わかる」ので す。私は、孫をそだてながら、その能力の素晴らしさに感動すら覚えました。自分が子育てしている時には、気づきもしなかったのに。
だから、皆が、笑ったり、話しかけてあげたら、赤ちゃんは、どんなに嬉しいでしょう。その笑顔が、赤ちゃんの心を幸せで満たし、生きていくエネルギーに変わるのだと思えてならないのです。
妊娠、出産、子育てと、女は自分の能力や努力だけでは解決できない様々な問題に直面しなければなりません。
しかし、私達の命は、弥生時代、平安時代、戦国の世の昔から、昭和平成に至るまで、ずっと、ずっと、勲章にもノーベル賞にも無縁の、名もない女達が、つないで守ってきた大切な命です。
命って、何だと思いますか。
命って、心だと私は思います。
母の心を無くしてしまった日本、1年間に三万を超える人が自ら命を絶ち、誰でもいいからと人を殺す人間が現れました。
幸せの記憶は、つらい事の多い人生を支える心のつえになります。
大切な命を、心を、守っていきたい、守ってほしいというのが、孫を抱く年になった私の一番の願いです。

* 骨盤位がなおりました。
彼女は妊娠28週頃よりずーっと骨盤位でした。
まずリラックスが大切だということで毎日30~1時間の半身浴を勧めました。そうして足の小指と三陰コウへのお灸を勧めました。
また足を壁にあてて上げお尻を上げる運動やストレッチをして身体をやわらかくする運動も指導しました。結局10ヶ月まで変わりません。勿論9ヶ月頃より近くの鍼灸師のところで針をして頂いたのですがそれも効果が無かったのです。
そうして結局京都の中村鍼灸師の方に連絡をとりお願いをしましたら彼は丁度滋賀の産婦人科へ行く機会があるのでと言う事で2月27日雪の中私の助産院へ往診して下さったのです。

そうして中村先生の他女性の先生のお二人で往診にいらっしゃいました。妊婦さんはもう10ヶ月です。本当に骨盤位が頭位に変わらなかったらもしかして帝王切開になってしまうかもという不安が妊婦さんにも私にもありました。
本当に藁にもすがる思いで先生のなさる事に注目しました。
まず女性の先生が足の小指と三陰交にお灸を3回づつしました。
そうしてお腹の上にも針を9本くらいでしたかさすのです。
今度は中村先生がおもむろにお腹をぐるりと一回転(外回転)なんとそれは数分でした。そうして回りました。と言うのです。
私は驚き、エコーで確認しました。なんと児頭は下になっているではありませんか。これぞ、神の手、私は自然に涙が出てきました。本当に感動です。ただただ感謝でした。

今までお灸に骨盤位が変わった方は沢山おります。しかしこのようにお腹に針をして外回転をするのは一度も見た事がありません。しかし先生の外回転だけで必ず変わるとは言えないそうです。
つまり妊婦さんがそれまでいかに自分でリラックスやお灸をしたりして自分自身の努力が大切だと言う事です。
この妊婦さんは本当に自分で努力を惜しまず骨盤位が直るということでしたら本当にいろいろ努力をなさっていたので、彼女と最初にお会いした時とはリラックスの状況が変化していたのは事実です。
本当に中村先生ありがとうございます。

その後無事にこの方はその後1度も骨盤位に戻る事もなく、3月25日に男のお子さんを出産いたしました。
本当にありがとうございました。

*畳の上での出産寄り添いたい(朝日新聞 声欄H19626 関西地区 朝比奈順子)
二つの講演会に参加した。一つはある診療所長の話。年老いた患者は畳の上での死を望む。医療者として患者の生き方に寄り添うことが大切と学んだ。
もう一つのテーマはお産のリスク。産婦人科医たちは1960年を境に病院出産が多くなり、妊産婦死亡が激減したとして、助産院や自宅の出産は危険だと主張した。だが、栄養面や衛生知識の向上には触れなかった。先の講演とはまるで正反対の主張の驚いた。
私は40年前からお産にかかわり、病院出産が医療者の都合を優先した大量生産システムであることを、いやというほど知らされた。温かい心のこもったケアが出来なかった。
私は今、助産院を運営し、妊婦とゆっくり話しあうようにしている。お産は病気ではない。リスクを乗り越え。自然な出産をした女性は自信と勇気を持つ。畳の上での産み、畳の上で死を迎えたい人に寄り添うことが医療者に大切ではないか。
医療はお産が異常になったときこそ受け入れ、互いに救命ができる体制を整えることが重要なのだ。

———————–
自然なお産をする為には
お産は本来すべての動物が種族保存の為に面々と続けられてきたものです。それは病気ではなく生理的な事なのです。ですが、残念ながら人間だけがお産の時に薬を使ったり、切ったりはったりし、その上帝王切開をしたりします。
本来日常の生活、食生活、を律して自然に即した生活をしているときは自然な出産が出来るでしょう。しかし現代人は多くの人が運動不足で数十年前の人々と比べたら、不自然に出産する人が多くなったと言えるかも知れません。
自 然出産をする事はただ昔に帰る事ではなく、妊婦が自分の健康を見つめ、しっかりと心と身体を準備して積極的に主体的に出産をする事です。もちろん出産は 100%安全ではありません、数%のリスクをのぞく為にも自分自身出産へ積極的に鍛錬する事から自然出産への道が開けると思います。
やはり出産は自分の自己実現であり女性として命をかける事だと思います。そうして自分が自然出産をしたときの気持ちは本当に素晴らしい気持ちになると思います。

散歩
自然のお産をする為には身体を鍛える為に散歩をしましょうと私は妊婦さんによく言ます。それも30分ぐらいではなく、2時間くらいと普通より本当に時間が長いのです。

ストレッチ体操
妊婦さんが自然のお産をするならばやはり自分の身体を鍛える事が大切です。それはいろいろな鍛え方があります。ヨーガも良いですが、ストレッチを毎日欠かさず20~30分行う事をお勧め致します。

本来は女性は妊娠前から自分の身体を鍛える事が大切なのですが、どうしても妊娠になり本末転倒といッた感じですが、やはり鍛えないより鍛えた方がお産に良いと思います。

山登り
さて、それから妊娠10ヶ月になりますと、今度は山に登る事をお勧め致します。で負荷をかけて坂道や階段をのぼる事をお勧め致します。
私どもでは出来るだけ助産婦と一緒に夏ですと午前6時に冬ですと午前7時近くの太郎坊宮へのぼっております。
早朝なので本当に身も心も清清しい気持ちになり本当に自然に感謝しつつところどころのお宮さんに手を会わせて安産を祈っているのです。
皆さんも自分らしい出産を自分の身体を鍛える所から始めてみませんか。本当に素晴らしい発見があると思います。
太郎坊宮 http://www1.ocn.ne.jp/~tarobo/

ご主人がトラウベで心音を聴く
胎児の心音を聴く時は病院の多くはドプラという機械で聴いているのが普通のようですね。しかしそんな機械はなくても直接お腹に耳をあてて聴くことも出来ます。
ここでは助産婦が昔から使っているトラウベというちょっとらっぱのようなもので聴いています。とても良く胎児心音は良く聞こえます。
ドプラのような大きな音は私はあまり好まないので健診の時はこのトラウベを使います。

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