鬱になる時はうんと鬱になると良いかも?
公開日: : 日々のこと
デイケアでお会いした高齢の女性の方がおりました。彼女は1ヶ月前初めて、このデイケアにいらっしゃった時と、この度お顔が全然違いました。まるで人まちがいする位です。私は正直ビックリしました。そうして「失礼ですが、どちら様ですか」とお名前をうかがいました。「あー、一度お会いしましたね。ずいぶんお顔が変わったので、びっくりしました」と私は言いました。
最初彼女にお会いした時、大変暗くあまり人を寄せ付けないくらいでした。そうして、足を電気で暖めながら雑談しておりました。「私は鬱で、とっても苦しいです」ご主人が亡くなって、1年、そうして最近心臓の手術をして、少しリハビリが必要と思いここに来たと言っておりました。
私は、彼女お話を聞きながら「大変ですね」と一言、そうして「私も、ある時 本当に鬱になったことがありました。とっても辛く どこにも出れなかったです。しかし、今その鬱に感謝しています。」と言いました。
鬱とは一般的に心の風邪ひきのようと言ったりしますが、当事者にとって大変苦しいと思います。
私はこの時、どうして鬱になったか自分を深掘りする良い機会が与えられたように思います。そうして、自分を客観的に観察し、自分の性格を変化させることができたと思います。ですから鬱という事実を受け入れ、その人にとって自分を深掘りすることができる良い機会になると思うのです。
ですから私は「鬱になったら辛いけど、うんと鬱になると良いかも」と一言余計なお節介の言葉を言ったのです。
このような言葉が、彼女にどう受け入れられたかわかりません。
ただ言えることは、何でも中途半端ではみえるものもみえない。そうして、心から自分と対面する時が人生には与えられているように思うのです。私はその時が30代であり、若い時でした。そうして、私は変わりました。いつも良い人になっていたことに気付きました。それより良い人だよと言われたい心があることがわかりました。つまり良い人になること、自分の前に来た事を決断する時どうしてもノーと言えなく、すべを受け入れていた自分に気づいたのです。
私がその点に気付いたのは自分深掘りしたからです。やはり人生は無駄はないですね。どんな辛いことでも、何か気づきををいただけるのかもしれません。私は彼女が、客観的に自分を見つめることができると良いなーと、祈る思いでした。
そうして「自分は尼さんになりたい」とお話しし出しました。そうして「京都のお寺さんに行って、お坊さんからお話を聞きに行ったけど、どうしてもお話しが、心にこなかった」と言っていました。私は「もし尼さんになるのでしたら、毎日毎日が修行と思い、日々尼さんの生活をしたら如何ですか?」世の中には沢山な方々がおります。世俗にいて修行することがもっと大切ではないかしら」と、勝手なことを言ってしまいました。
私は今生かされ残された時を産婆として、多くの女性に自然のお産に気付きチャレンジしてくれる様、啓蒙したいと思っております。
感謝です。